うまい焼肉食ってきた。しかもアルコール入って、若い同僚と一緒だったのでエラそうなことぶっこいてきた。がはははー。こんな気分では「大学」のことなどは書けぬ。うほほほー。
そこで、またくだらぬことを書くことにします。
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南北朝の時代。
項寧都というひと、
「わしは仙人になるぞ」
と言い置いて家を出て、―――十年。
ふらりと帰ってきた。
珍しがって近所のひとが集まってくると、その前で言う。
到太上、仙人以流霞飲我、不飢渇。
太上に到るに、仙人流霞を以て我に飲ませしめ、飢渇せず。
最上の世界に行ってきた。そこでは仙人がわしに、ふわふわと漂う霞を食え、という。試しに食うてみたら、それ以降、腹も減らぬし、のども渇かなかったのだ。
「ほう、大したものじゃ」
と近所のおやじが褒めると、別のおやじが
「しかし、そんなすばらしい世界からなぜ戻ってきたのか? すぐにあちらに戻ろうと思うものなのではないか?」
と問う。
項、答えて言う。
忽思家、到帝前謁拝、失儀見斥。
忽ち家を思い、帝前に到りて謁拝するに、儀を失いて斥(しりぞ)けらる。
ふと家郷が懐かしくなり、帰郷しようと天帝さまに御挨拶に出かけたところ、その御前で失礼なことをしてしまい、叱責を受けて戻ってきたのだ。
「だから、すぐには戻れないのだ」
そしてまわりのひとに現在の年号を訊ね、それを聞くとびっくりした顔をして、
「やや、数日のつもりだったのに、もう十年も経っていたのかあ。いやあ、これはこれは驚いたあ」
と言うたのであった。
それで、河東地方では項のことを「斥仙人」(追い出された仙人)と称して敬い、お供えだけで暮らしていけるほどであったという。
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北魏の酈道元(れき・どうげん)の「水経注」巻六「涑水」条より。
ちなみに、明の馮夢龍はこの項寧都の言を「詐(いつわ)りて云う」(うそである)と断じているが、よいコのみなちゃんはどう思いますかな?
わしも焼肉を食ってエラそうな話をしていたときは、仙界にいたような気分でありました。しかし、醒めてしまった今となっては、まるでそれが十年も前のことのようにいつもどおり頭痛と自己嫌悪中。情けない。