昨日はあたまが痛いので休ませていただきました。今日もずっとダメだったのですが、晩飯にカレーライス大盛りを食べたらなんとなく平癒した感じ。
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今度は紀州沖でカツオが捕れなくなっているのだそうです。何の予兆であろうか・・・。
元の至元庚寅年(1290)冬、江浙行省では時の権力者であった右丞相・相哥沙不丁(サンコウ=サブッディーン)の徳を讃える碑を建てることとした。省をあげての事業となり、
穹窿莫比。
穹窿比するなし。
比べるものもないほどの巨大な碑ができた。
しかし、土台にする石がない。
時に漢人・趙若晦というもの、宋の王室の墳墓に巨大な敷石のあることを告げたので、役人たちは千人の人夫を出してその石を役所の前まで引きずり出してきた。
これを土台石として碑を起ち上げ、ついに巨大な碑を建立することに成功したのである。
畢工之日、是夜省堂中火爐鳴。
工を畢うるの日、この夜、省堂中の火爐鳴る。
工事の終わった日の夜、省の正堂の中のいろりがわけもなく音を立てはじめた。
ウシの鳴く声のようであったというが、これは「釜鳴り」といわれる現象の一種であろう。
いろりは一晩中鳴り続け、夜明け前にようやく鳴りやんだ。
次の夜も次の夜も同じように鳴ったが、役人たちは
以為常。
以て常と為す。
「いつものことでござるのう」
と言い合って、何事も無いように振る舞った。
変事はこれにとどまらず、
梟鳴梁圧、虎入城市。
梟鳴き、梁圧し、虎、城市に入る。
役所で@ふくろうが鳴いた。A横柱が落ちてきてひとを押し潰した。町にBトラが入り込んできた。
役人たちは目配せしあった後、
「別に変ったことではござりませぬのう」
と言うて頷きあっていたが、次の年の春、相哥(サンコウ)が失脚し、合わせて多くの重臣たちが罪に落ちたのである。
豈非事有先兆与。
あに事の先ず兆しありしにあらざらんや。
このことの予兆ではなかった、とは言い切れまい。
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元・陶宗儀「南村輟耕録」巻二十三より。「天変」のでなくて「政変」の方の予兆だといいなあ・・・と思ったりするのですが。