平成23年3月15日(火)  目次へ  前回に戻る

 

一度書いておきたかったので。この状況下で書いておかねばならないようなことではないけれど、どうせ周縁の1HPだからいいだろうと思って書きます。

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シナ近世に「鄱官神」(はかんしん)なる神のあったことである。

清の自庵・周寿昌(1814〜84)の「思益堂日札」に記すところによれば、

鄱官神、不知何神。吾郷漁船多祀之。毎於元夕、簫鼓祀神。

鄱官神、何の神なるかを知らず。吾が郷の漁船、多くこれを祀る。元夕ごとに簫鼓して神を祀るなり。

ハカン神はどういう来歴の神であるのかわからないが、わたしの郷里(湖南・長沙)ではたいていの漁船でこの神を祀っている。毎年正月十五日(「上元」)の夜になると、笛と太鼓でこの神をお慰めする祭りがある。

江西漁舟亦然。

江西の漁舟また然り。。

江西地方の漁船も同様である。

古書をひも解いてみるに、

@   宋の陸放翁の詩に

或作番官記。

あるいは「番官記」と作す。

「バンカンキ」という名前でこの神のことが出てくる。

A   唐の李夢符の「漁父の詞」には

婆官賽却坐江隈。

婆官の賽(サイ)には却って江隅に坐す。

バカンさまのお祭りの日には(普段は川の真ん中にいる漁師が)かえって川のくまに(祭礼の舟を避けて)じっとしている。

と歌われており、「バカン」の名であったことがわかる。

B   さかのぼって後漢書の曹娥伝に

婆婆(ババ)神

の記述があるが、これも同様の神であるか否かは明らかではない。

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この「鄱官神」が気になってしかたないのは、我が国の八幡神との関連のゆえである。

ご承知のとおり八幡神は「やはたのおほがみ」として@豊後・宇佐の地に神降りした系統不明の神であるともいい、A応神帝・神宮后・姫神の三神ともいい、B新羅より来った神でもあるといい、その神託の威力、道鏡をも震えさせたが、下って中古には「はちまんさま」としてC神仏習合の中で「八幡大菩薩」となり、D清和源氏嫡流との関係を深めて武門神となり、E全国に散って各所で鎮守神・氏神として祀られるに至ったきわめて複雑な神格であるとされるが、さらに中近世に

往昔有倭船竊入唐強盗者、其舶幟銘八幡神号、以為海上鎮護。華人不暁之、総以海賊称八幡。(和漢三才図会)

往昔、倭船の竊(ひそ)かに唐に入りて強盗するものあり、その舶、幟して八幡神の号を銘し、以て海上鎮護と為す。華人これを暁(さと)らず、総じて海賊を以て「八幡」(バハン)と称す。

(江戸時代からみて)昔、日本の船で私にシナに押し入って劫略したものがあった(いわゆる「倭寇」である)が、その舟は、はたじるしに「はちまん神」の名を掲げて、海上交通の守護を祈っていた。シナ人はそこのところがわからないので、海賊船を見るとすべて「バハン」船と呼ぶに至ったのである。

とあるように、F東シナ海を交通する船(海賊船はすなわち交易船でもある)の「海上鎮護」の神「ばはん」ともなった。

拙斎は「はちまんさま」のこのFの神格「ばはん」は、シナの「バカン神」が和が「ハチマン」神に習合したものではなかったか、と思うている。中世倭寇は日本・朝鮮・シナなど各民族の集合であり、その共通語はおそらく福建語であったともいわれる存在であるから、シナ来歴(あるいはもっと南から来たのかもしれぬ)の船舶安全の神―バカン―がその船の守護者と信じられたこと、いかにもありえそうではないかと云爾。(この件、再論の予定)

 

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