深刻に考えても何か効果があるわけでもないので・・・
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むかし、斉の国の宮殿に一本足の鳥が多く飛び来たり、正殿の前庭に集まって羽を広げ、一本足で跳びまわった。
斉侯驚き怪しみ使いを魯の国に使わして賢者と名高い孔子にその意味するところを問わしめた。
孔子、使いの者からことを聞き、即座に答えていう、
此鳥名曰商羊、水祥也。
この鳥、名付けて「商羊」と曰い、水の祥なり。
「その鳥は「商羊」というて、水のわざわいの知らせでござる。
そのかみ、ある地で子供(「童」)が片足を曲げて一本足で立ち、両の眉を上げ下げして飛び跳ねながら歌う遊びが流行したことがありもうした。
その子供の歌(「童謡」)にいう、
天将大雨、商羊鼓舞。
天まさに大雨せんとすれば、商羊鼓舞す。
「空から大水来る前に、商羊の鳥がくるくる舞うよ」
と。
今、斉の国にその鳥が舞い降りましたのじゃ。その指し示すところはすぐに起ころうものを」
斉の使者急ぎ帰り、旨を斉侯に告ぐ。
侯、群臣に命じ民に告げて、溝を掘り堤防を修築した。
この年、大いに天より雨降って黄河の水が中原の諸国にあふれたが、ただ斉の国のみ害を受けず。
斉侯曰く、
聖人之言、信而微矣。
聖人の言、信にして微なり。
「聖人のことばは、違うことはないが誰にでもわかるものではないのだ」
と。
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「孔子家語」弁政十四より。
・・・だから何だというのでしょうか。この大災害に引っ掛けて書いているのか。書いてて自分でもいやになってきた。ただの電気の無駄遣いではないか。
―――なんとかしてと言ってる
そばに来てと言ってる
私はただ歌うだけ
もう救ってやれない 波よ聞こえたか
とハコさんが言ってる(「港の歌」(1981「幻想旅行」所収)のを引く方がまだしも意味があるのかも。「吹雪」も吹くのかな?
ちなみに上記の斉侯は景公(在位前547〜490)だそうですが、「家語」は説話集だから歴史事実性はあまり深く問うべきでない。と思う。