平成23年1月31日(月)  目次へ  前回に戻る

あ。・・・動いた。PCが動いた!

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隋の大業年間(605〜617)のことである。

元蔵几という若者、一旗当て込もうと東海に出る交易船に乗ったところ、大風に遇って遭難した。

ただ一人、板切れにしがみついて何日も漂流するうちに、遠く陸地の影を見つけ、最後の力を振り絞って砂浜に泳ぎ着くと、気を失ってしまった。

・・・気がつくと、土地のひとびとに、暖かな部屋の中で介抱されていた。

意識を取り戻した蔵几は、まず言葉が通じるかどうか、訊ねた。

介抱に当ってくれていた人びとは、みな頷く。

蔵几は篤く救命の礼を述べ、それから、同じような状況で他の誰もが問うであろう問いを発した。

―――ここは? なんという土地ですか?

この問いに、しかし人びとは微笑むばかりで答えはなかったのである。

この地の人たちは、チュウゴクのひとたちよりいくらか色白で、いくらか背が高く、いくらか古風な服装で古風な言葉づかいをする、というほか、特段の違いは無かったが、蔵几には何となく不思議な違和感があった。

しばらく彼らの間で暮らす間に、その違和感の原因に思い至った。この人たちには、「表情」というものがないのだ。いつも「微笑み」を浮かべているだけである。

さてさて―――

この地では、

花木常如三二月。

花木は常に三、二月のごとし。

いつも二月から三月の春の盛りのように、花が咲いている。

人多不死。

人、多く不死なり。

あんまりひとが死ぬ、ということがないらしい。

こどもは、

産分蒂瓜、長二尺。

産まるるに蒂瓜の長二尺なるを分かつ。

長さ二尺の大きなウリが、ヘタのところから割れて、中から出てくるのである。

この地には年中、

碧棗、丹栗、皆大如梨。

碧棗、丹栗ありて、みな大いさ梨の如し。

梨のように大きな青いナツメ、赤いクリが成る。

ひとびとはこれを主食にしている。

淡水には、

有四足魚、金蓮花。

四足魚、金蓮花あり。

四本足のある魚や黄金色の蓮の花がある。

女たちはこの花を髪飾りにする。(もし、チュウゴクでいう「女」の格好をしている彼女らを「女」と呼ぶならば、である。なにしろ子どもを産まないのだから、「女」なのか否かわからぬ。)

そして、歌を歌うていた。

不戴金蓮花、  金蓮花を戴かざれば、

不得在仙家。  仙家にあるを得ず。

黄金の色のハスの花、あたまの上に載せるなり。

夢かうつつの不思議な世界に、暮らし居る「しるし」なれば。

ただし、元蔵几がこの地に滞在していたのは、まる一年にも足らぬ期間であったから、彼の観察がどれほど正確であったかは保証の限りでない。

元蔵几は、ある日、チュウゴクに帰ろうと思い立った。

人びとはやはり微笑みながらその企てを良しとし、小さな舟を造ってこれに彼を乗せ、爽やかな追風を吹かせて、送ってくれた。

波に揺られるともなく小舟の上で、日の昇るのを十たびほど数えたとき、元蔵几は陸地に着いた。

山東の東莱であった。

彼はまず、ひとびとの、憎しみ・あらがい・いさかう声、そのたびにゆがめ、次いでほころび、あるいは弾けんばかりに喜ぶ顔つき、の豊かさに驚いたが、さらに、既に隋の世でなくなっているのに驚いた。訊ぬるに、今の世は「大唐」と称し、年号を貞元(785〜805)といい、船出した大業の時代から、すでに数百年を経ていたのである。

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唐・蘇鶚「杜陽雑篇」より。元蔵几の行った地は、東方の三仙島の一、「滄州」である、ともいわれます。ちなみに、「三仙島」は八丈島だと思いますけどね。うそだと思うなら船で同島を離れてみればいい。離れるにしたがって、島影がそれの形をしているのがわかってまいりますよ。

この更新、前回の更新から三日ほどしか経っていないはずなのですが、もうずいぶん昔のように感ずる。もしかしたら、みなさまの住む世界から見ると二百年ぐらい経っているのかも知れぬ。それほど経っていなくても、もう忘れられているかも。

 

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