寒いです。寒いので、由比正雪みたいにいっぱつドカンとでかい火柱でも揚げて暖まりたいぐらいです。が、火は地球環境に悪いそうですからガマンします。
それにしても、むかしは、地球環境によいものがあったようですよ。
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唐・玄宗の開元年間の終わりごろ、西涼国より進貢してきたものの中に、
瑞炭
というものがあった。
炭であるが、長細く、
長尺余。
長さ尺余なり。
長さは一尺余りであった。
唐のころの一尺は31センチほどである。
其炭青色、堅硬如鉄。
その炭、青色にして堅硬なること鉄の如し。
その炭は、青い色をしており、鉄のように硬かった。
こんなものが百條ほど献上されてきたのである。(「條」は細長いものを数える数詞)
玄宗皇帝、自ら西涼国の使者に問いて曰く、
「これは普通に炉に入れて火をつければいいのかな」
使者は通訳の言葉を訳するを聞いて頷いたが、すぐ首を振って言うに、
「必ずや一條づつを炉に入れられよ」
と。
そこでこれを一條とって炉に入れ、火をつけたところ、
無焔而有光、其熱気逼人而不可近也。
焔無くして光有り、その熱気、ひとに逼りて近づくべからず。
炭は火焔を出さずに、光りはじめ、熱を発した。人間はその熱気に圧倒されて近づくことができないほどであったのだ。
使者、言うに、
毎條可焼十日。
毎條、焼くべきこと十日なり。
「一本で十日間発熱し続けます。
十日経ったら炉の中には何も残っていません。そうしたら次の一本に火をつけてください」
とのことである。
玄宗皇帝は好奇心の強いひとであるから、
「もし一度に二本に火をつけたらどうなるのであろうか」
と問うてみたところ、使者は
「一本がもう一本を熱し、もう一本が一本を熱しあって、熱気が膨れ上がり、おそらくは陛下の国のものを、人も物もすべて燃やし尽くしてしまうこととなりましょう」
と言い、そして一呼吸置いて、
「それも一興でございましょうけれども」
と続けて、それから実に愉快そうに笑ったそうである。
結局、この「瑞炭」、毎年冬が来ると十日に一本づつ焼かれていたが、わずかに残ったものも天宝十五年(756)の安禄山の乱の際に所在知れずとなった。
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五代・王仁裕「開元天宝遺事」巻上より。所在知れずになってよかったのカモ。反乱軍に利用されていたら、まずかったカモ。いやいや、地球環境にいい燃料だからもっと使われた方がよかったのカモ。