平成22年12月21日(火)  目次へ  前回に戻る

寒くなってまいりました。おまけに燃えてもいないのに燃え尽き症候群らしき状態・・・。

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死後に恭勤公と謚名せられた山西の栗毓美は黄河の治水で名を上げたひとで、太子太保にまで登ったが、若いころは裁判の名手としても聞こえていた。

彼が六十三歳で黄河の防水工事の監督中に亡くなったときは、皇帝はその報を受けて震えるほどに悲しまれたが、

河南人如喪考妣。

河南のひと、考・妣を喪えるが如し。

黄河が決壊する地帯である河南地方の人民たちは、まるで父母を喪ったように哀しんだ。

という。「考」(コウ)は父、「妣」(ヒ)は母の、それぞれ亡くなった後の言い方である。

その翌年、黄河がまた開封の地で決壊したが、治水官たちは昼夜をおかずに作業を続け、間もなく堤防を再構築することができた。

堤防の構築工事を終えて水の溢出を防げる状態になることを、「合龍」(龍を合す)と呼ぶ。

当合龍之際、河工忽来一蛇、衆讙迎之。

まさに合龍の際に当たりて、河工たちまち一蛇を来たし、衆これを讙迎(かんげい)す。

工事の完成の日になると、治水工事の人夫たちがどこからか一匹のヘビを連れてきた。工事の状況を見物に来ていた人民らは大声を上げてこれを迎えた。

何故かというに、以前より「合龍」の日には、

河神必化蛇至。

河神必ず蛇と化して至る。

黄河の守り神が必ずヘビになって現われるものだったからである。

工事完了のときには、ヘビの前に大きな金色の皿を置く。人夫の中でも長老格の者が、そのヘビの色などを見て、

黄大王、朱大王、斉大王

などの名前で呼びかけ、その名前が合致すると、そのヘビは決まって飛び上がり、金色の皿に躍り入るのである。そうすると長官である治水の監督官がお供の者たちとともにそのヘビを出迎え、廟の中にお連れして数日の間お祭りするとともに、朝廷に奏上して今回の「大王」の名前を記録する。やがてお祭りの終わる日に廟の中を見るとヘビはいなくなってしまっている、というのが常であった。

ところが、今回、人夫たちが連れてきたヘビは、これまで誰も見たことがない

灰色

のヘビであった。老人夫たちが次々とこれまでに現われたことのある「大王」の名前を呼びかけたが、どれ一つも合致するものがないらしく、ヘビはぴくりとも動かない。ために、

衆人大惑。

衆人大いに惑えり。

人民たちはたいへん困惑し不安げであった。

栗恭勤公の後任の治水監督官であった牛鑑さまは少し離れたところで大王(のヘビ)の名前がわかり、大王(のヘビ、以下略)が金の皿に飛び入るのを待っておられたが、なかなか大王の名前がわからず、人民たちに不安が広がるのを見ると、お供の者を従えて大王の近くまでやってきた。

そして、大王を一見すると、

「おお、なんと、

是栗大人耶。

これ、栗大人ならんか。

先ごろ亡くなった栗先生ではござらぬか!」

と呼ばわった。

すると大王は、

遂躍入盤中。

遂に盤中に躍り入る。

とうとう皿の中に飛び入ったのだった。

人民たちは

おお!

と叫んで大王の名前が判明したことを大いに喜んだ。

「どうして栗公であるとおわかりになりましたのか」

と問われると、牛鑑さまは言う、

「栗公は首のまわりに、白い「なまず」があってまるで首飾りのように肩先を一周しておられた。

我見此蛇頚有白圏、疑是渠化身、呼之而応。

我この蛇を見るに頚に白圏あり、疑うらくはこれ渠(かれ)の化身ならんかとこれを呼ぶに応ず。

わしがこのヘビを見てみたところ、首のまわりに白い斑紋が一周しておったから、もしかしたらこれは栗公の化身ではないかと思って呼んでみたのじゃ。そうしたらお応えになったのだ」

ここにおいて、牛鑑さまはただちに朝廷に上奏し、歴代の黄河の守り神の中に、栗恭勤公の名を書き加えることとしたのである。

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清末の陳其元「庸闕ヨ筆記」巻六より。

なんだかよくわかりませんが、前近代のひとたちがオロカだったのだなあ、ということだけはヒシヒシと伝わってきますね。

なお、この恭勤公、苦労人で若いころに辛い目に遇ったことがある・・・のですが、それはまた別のときのお話といたします。

 

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