平成22年12月9日(木)  目次へ  前回に戻る

木枯らしの町を歩いていたら突然背後から

「おい」

と呼ばれた気がして振り向いた。・・・が、誰もいない。

「うーん」

わしは腕を組んで考えた。

最近忘れてしまっていて、思い出さねばならないひとがいたのではないか。もうずっと遠いむかしにこの世からいなくなったので、なかなか思い出せなくなっているひとなのだ。そのひとが、「思い出せ」と言うために呼んだのではないか。

「うーん」

考えても大したひとは思い浮かばぬ。しようがないので呼んだのは長いこと翻訳していない漁洋・王士ヰ謳カではなかったか、と勝手に思いなして、思い出したように「池北偶談」を開いてみた。

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はとこの王士襄の女房の張氏が、今年の夏、日の暮れ方にベッドでうとうとしていて、「はっ」と気づいたとき、

榻忽離故処尺許。

榻(とう)、たちまち故処を離るること尺許りなり。

ベッドがいつの間にかもとのところから一尺ばかり離れていた。

のであるという。

張氏、

―――だれが? なにをしたの?

と驚いて

四顧無所見。

四顧するも見るところ無し。

あたりを見回したが誰もいない。

と、頭上になにものかの気配がするので視線を向けたところ―――

睹梁間有小人二寸許、垂首下窺。

梁間に小人の二寸ばかりなるがありて、首を垂れて下を窺うを睹(み)る。

横柱の上に、いたのだ。背丈二寸ばかりのこびとである。頭を覗かせてこちらを見ているのだ。

小さな冠をかぶり黒い服を着ていた。ヒゲも眉もはっきりと見えた。

張氏は声も出ず、しばらくそのこびととにらみ合っていたそうだが、

久之飛去、遂失所在。

これを久しくして飛び去り、遂に所在を失う。

しばらくすると、ひょい、と飛ぶようにいなくなり、どこかに行ってしまった。

まぼろしかと疑ったが、そうではない。彼奴は飛び去るときに小さな冠を床に落としていったのである。

その冠、

以木為之、色黒如漆。

木を以てこれを為(つく)り、色黒きこと漆の如し。

木製で、漆の原液のように黒い色をしていた。

―――とはいえ、この小人が重いベッドをどうやって動かしえたものか、疑問は多い。

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そうでしょう。この世の中は疑問だらけだから、コビトちゃんの出現も、疑問の海から異界といわれるものの真実が、ちょこっと顔を出しただけのようなものなのだ。

「池北偶談」巻二十六(談異七)より。

 

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