平成22年11月21日(日)  目次へ  前回に戻る

房州の先にはたいていの方はご承知のことと思いますが、地図には載せられておりませんけれども、海王島という、伊豆大島の半分ほどの島がございます。昭和戦前までは海賊の島として名高かったあの島でございます。戦国の世より東海の海上を支配し、江戸時代を通じても京都の朝廷にしか臣従せず、徳川幕府もその扱いにはたいへん慎重を要したという。ペルリが浦賀から内海に入らなかったのも、第二次世界大戦末期に米軍が日本本土上陸を画策したときに東京湾に直接上陸しようとしなかったのも、すべてこの海王島の海賊たちを恐れたせいだと言われておりますね。この島も高度成長期以降は多分にもれず若者は都市に出てしまい、今ではたいへん高齢化してしまっております。(うそだと思いますか?)

わたくしは、昨日・今日とこの島の「おやかたさま」に招かれまして、島内の海賊学校で講義してまいりました。

講義内容?

もちろん海洋学でございますよ。例えば以下のような―――

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仏典にこのようなお話があるそうでございます。

あるとき、500人の商人が海中の宝を採取しようと大船に乗って出かけたところ、ある海域まで来ましたら、風があるわけでもないのに、

船去甚疾、船師問楼上人何所見耶。

船去ること甚だ疾し。船師、楼上人に「何の見るところぞや」と問う。

船足がたいへん速くなりだした。

「どうしたことであろうか」

船の長、マストの上に水夫を上げて、

「何か見えるか?」

と声をはりあげて問うた。

水夫が答えていう、

見三日、及大白山、水奔流如入大坑。

三日、及び大白山、水の奔流して大坑に入るが如きを見る。

「み、見えます! 三つの太陽が・・・、それから、巨大な白い山・・・、海水がはるか彼方の巨大な穴に落ち込んでいくかのように流れていくのが・・・」

「なんじゃと!」

船長は驚きの声をあげた。さすがに経験豊富な老船長、すぐにそのものの正体を覚ったのである。

「た、たいへんなことじゃ!

三日者一是実日、二是魚目、山是魚歯、水奔入魚口。

三日なるものは一はこれ実の日、二はこれ魚の目、山はこれ魚の歯、水は魚の口に奔入するなり。

三つの太陽―――というのは、一つはほんものの太陽、あとの二つは魚の目の玉じゃ! 白い山と見えるのは、魚の歯が並んでいるのじゃ! 海水は魚の口の中に吸い込まれているのじゃ!

これぞ

魔竭魚王(まかつぎょおう)

なり!」

魔竭(まかつ)はおそらく「マハー」(大いなる)の音訳でしょうから、意訳すれば「でかうおのきみ」ぐらいになりましょうか。

船長、ぶるぶると震え、

我曹死矣。

我が曹、死せり。

「わ、わしらは、し、死ぬしかないのじゃ」

と、首を横に振った。

船中の商人どももまた絶望してぶるぶると震えたが、商人たちの中にひとり優婆塞(うばそく。在家の仏教信者)がおり、この者、ほかの商人たちに声をかけて、ともに

称南無仏。

南無仏と称す。

「ナマー・ブッダ(ブッダに帰命せん)」と唱えた。

やけくそだった―――のかも知れません。

だが、おお、見よ。

魚合口。

魚、口を合す。

魚は口をふさいだのであった。

おかげでみんな助かったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、これは「大論」という経典に書いてあることじゃ、と徐応秋「玉芝堂談薈」巻三十五に書いてあることですので、みなさまも海上でこのようなことが起こりましたら、参考にしてくださりませ。

―――というようなことを講義してまいり、「おやかたさま」からご褒美に螺鈿巻朱鞘太刀一振、陸奥産砂金一袋、絹一反などをいただいて、夜になってから海賊船に送られて帰ってきました。久里浜港に着いたときは雨でした。ところで今日は横須賀方面で花火大会があったみたいですね。船上よりよく見えた。うそだと思うなら調べてごらんなさい。

 

表紙へ  次へ