平成22年11月19日(金) 目次へ 前回に戻る
イきています。
さて、よい子のみなちゃん、次の「神」はゲンダイの「科学的」には一体なんだと思いまちゅかあ?
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魯の荘公の三十二年(紀元前662)、秋七月―――
有神降于莘。
神、莘(シン)に降るあり。
神霊が莘(シン)の地に降りたのであった。
時の天子である周の恵王はこのことについて内史の過(カ)に問うた。
是、何故也。
これ、何の故ぞや。
「なんでこんなことになったのじゃ?」
内史過、答えて曰く、
国之将興、明神降之、監其徳也。将亡、神又降之、観其悪也。
国のまさに興らんとすれば、明神これに降り、その徳を監(み)るなり。まさに亡びんとすれば、神またこれに降り、その悪を観るなり。
「国が勃興しようとするときには、ひかりの神霊がそこに下って、その威勢を観察なさります。滅亡しようとするときにも、神霊はやはりそこに下って、そのどうしようもないのを観察なさいますのじゃ。
ですから、
有得神以興、亦有以亡。虞、夏、商、周、皆有之。
神を得て以て興るあり、また以て亡ぶあり。虞・夏・商・周、みなこれあり。
神霊を確保することで勃興することもあり、また滅亡することもあるのです。―――虞の国、夏の国、殷の国、そして我が周の国も、みなそのようなことがございましたのですぞ!」
内史過は、だんだん熱くなってきたみたいでちゅので、
「そ、そうか」
王はそれをさえぎるようにまた問うた。
若之何。
これをいかんせん。
「それではわしはどうしたらいいのじゃ?」
答えて曰く、
以其物享焉。其至之日、亦其物也。
その物を以て享せん。その至るの日、またその物なり。
「それに対応したモノを用いて祀ることですな。それが降りて来た日を調べれば、それに対応したモノはわかりますからな。」
よい子のみなちゃんは「物」(ブツ)という言葉に注意してくだちゃい。むかしむかしには特定の「日」に対応した特別な「物」(←「もの」。本来は特別なの牛を指す字らしい)がある、という考え方があったようでちゅ。
(参考にしてくだちゃい)北米先住民のアルゴンキン族には「マニトゥ」という観念があるそうでちゅ。
(これは)まだ共通の名称をもたないすべての存在を示す。あるアルゴンキンの女性が山椒魚を怖がって、これをマニトゥだと言ったという。商人の真珠はマニトゥの鱗であり、ラシャの布はマニトゥの皮膚である。レヴィ=ストロースによると、1915年までに牛を見たことのなかったナンビクワラ族は「アタス」という名で牛を呼んだが、この語の意味はアルゴンキン語のマニトゥにきわめて近いものであるという。マニトゥやアタスは、名状しがたいもの、不定のもの、捉えられない無気味な怪物的なものを指しているといえよう。(吉田禎吾「魔性の文化誌」 1976研究社(1998 みすず書房再版p226))
「物」や我が国の「もの」(もののけ、の「もの」)に近い概念でありまちょうと思われまちゅ。
「おお。そうか」
王はその言葉に従い、内史・過をおのれの名代として、神霊を祀らせるべく、莘の地が属する虢(カク)の国に遣わしたのであった。
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内史・過は祀りを終えて帰ってきました。
そして、王に反命して言うには、
虢必亡矣。虐而聴於神。
虢は必ず亡びん。虐にして神に聴けばなり。
「虢(カク)の国は、あれは絶対亡びますな。暴虐な政治を行っているくせに神霊の言うことを聞いているのですからなあ」
と。
以上より、
●暴虐な政治 + 神霊 → 滅亡
という公式が成り立つことがわかります。ということは、逆に、
○すばらしい政治 + 神霊 → 勃興
ということになるのである。
・・・・・・・・・ところで、この神霊は
居莘六月、虢公使祝応、宗区、史嚚、享焉。神賜之土田。
莘に居ること六月、虢公は祝の応、宗の区、史の嚚(ギン)を使わして、享せり。神はこれに土田を賜う。
莘の地に六ヶ月間出現していた。これに対し、虢公は、(自分の国の)祝(はふり。シャーマン)の応という者、宗人(王族)の区という者、史官(祭司)の嚚(ギン)という者、この三人を遣わして神霊を祀らせた。神霊は、これに対して「田土を与える」と約束したのである。
これは一つの問題を含んでいまちゅよ。
周の封建制のもとでは、虢公を「封じ」て、その領地の境域を定め安堵するのは天子たる周王のみに許された権能でちた。天子がそれを行えないときには、覇者(伯)が代わって行うことがあります。ところが、虢公は、その境域の拡大を「神」から約束された、というのでちゅ。周の封建制を否定する行為なのでありまちゅよー。
そのことに気づいたひとは眉をしかめて虢公の行動を批判した。虢公の命を受けた人物の中でも、史官の嚚はこう言ったという。
虢其亡乎。
虢はそれ亡びんか。
「虢の国は、滅亡してしまいますぞ。
吾聞之、国将興、聴於民。将亡、聴於神。神聡明正直而壹者也。依人而行、虢多涼徳、其何土之能得。
吾はこれを聞く、国まさに興らんとすれば、民に聴く。まさに亡びんとすれば、神に聴く、と。神は聡明正直にして壹(いつ)なる者なり。人に依りて行う。虢は涼徳多し、それ、何ぞ土のよく得るあらんや。
わたしはこのように聞いておりますぞ。
国のまさに勃興せんとするときは、人民の要望を聴く。まさに滅亡せんとするときは、神霊の要望を聴く。
ものだ、と。だいたい、神霊は聡明にして正直、誠実なるものでござる。人の行いを見て、それに禍福を下すもののはずでござる。今、わが虢の国は徳の道に外れたことが多い。そんな国がどうして新たな土地を得ることができるはずがございますまい。」
「壹」(イツ)は「一」「専一」の意ですが、ここでは「誠一」なること。「涼」は「凉」と同じで「すずしい」という字ですが、「薄い」の意があり、ここでは「薄徳」なることをいう。
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以上。「春秋左氏伝」荘公三十二年条より。
この「神」はどんな顔をして、どんな声でしゃべり、どんな長さ・幅・重さ・色をしていたのか、気になりまちゅねー。古代はあちこちにこんなのがほんとに降りてきていたのです。ということがこの記事からわかります。ゲンダイ科学では解明できない現象があったのでちゅねー。
ちなみに、左氏伝では「予言」は必ず成就しますから、虢はもちろん滅びます。まあ考えてみると、国なんてほぼみんな亡ぶんですけどね。周王国も滅びまちたからね。世界史上で一度も滅んだことの無い国は「日本」だけなのでちゅからね。