十何回か起動してみてやっと起動した。この調子では今後はなかなか更新できないものと覚悟しております。
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さて。
元符三年(1100)八月、南海の合浦に流謫されてきた蘇東坡のところに老人が一人訪ねてまいりましたという。
「うほほ、あなたが東坡居士ですかな」
「あい、そうじゃ」
と六十過ぎの東坡居士が答えると、その老人は自ら名乗っていうに、
「わしは蘇仏児と申しまして、年は八十二。
不飲酒食肉。
飲酒・食肉をせず。
酒を飲みもせず、肉を食うこともない。」
「そうですか」
と相槌うちながら蘇仏児の顔をじろじろと見てみるに、
両目爛然、蓋童子也。
両目爛然として、けだし童子なり。
その両目はぎらぎらと光り、まるで子どものようである。
仏児は自ら言うに、もう何十年も酒を飲まず肉を食らわず、また女人も断って仏道を学んでいるのであるそうだ。
有兄弟三人、皆持戒念道、長者九十二、次者九十、与論生死事、頗有所知。
兄弟三人ありて、みな戒を持し道を念じ、長者は九十二、次者は九十、ともに生死のことを論じて頗る知るところあり。
「三人兄弟なんじゃ。みんな戒律を守り、仏道を心から放さず、上の兄貴は九十二、二番目のが九十歳になり申す。いつもともに生死の大事=仏道のことを論じ合ってたいへんためになる。」
この町の東南の郊外に住んでいるのだ、という。
「そして、のう・・・」
と仏児は続けた。
「わしは、
嘗売菜之東城、見老人言、即心是仏、不在断肉。
嘗て、菜を売りて東城に之(ゆ)くに、老人の「即心これ仏なり、断肉にあらず」というを見る。
以前、野菜を売りに東の町に行ったことがあるが、そのとき、ある老人が
「心の思うままに振舞えばそのままホトケなのである。肉を断ったりする戒律とは関係ないのである」
と言っているのに会うたのであった。
そこでわしは言うてやったのじゃよ。
勿作此念、衆人難感易流。
この念を作すなかれ、衆人は感じがたく、流れやすし、と。
「そんなふうに考えてはなりませぬぞ。愚民どもは真実を感じることは困難じゃが、ラクチンな方に流れるのはたやすいのじゃからな。」
「なるほど、なるほど」
東坡居士が頷くと、仏児はさらに言うた、
「するとその老人は
大喜、曰、如是如是。
大いに喜んで、曰く、「是くのごとし、是くのごとし」と。
たいへんうれしそうに、「そのとおりじゃのう、そのとおりじゃのう」と言うたのであった。」
今はその老人もともに城外東南の村に住んでおり、その老人の年齢は九十八であるという。
「さあ、東坡居士、あんたも来るがよい」
「あい、行きまする」
東坡居士は合浦の町からいなくなった。
一月ほどしてからにやにやしながら帰ってきた。その間どのようなことがあったかについては生涯口をつぐんでいて知られていない。
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「東坡志林」巻二より。蘇仏児は東坡自身だったかも知れない、ともいうらしい。腐女子の方から見るとこれさえボーイズラブになるのかな。
いずれにせよ、自他不二、生死一如なり。さようなら。また明日会えるといいですね。なむなむ。