賢なるかな、回や。
顔回は賢いのう。
という「論語」の言葉がありますね。
「雍也篇」に曰く、
子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其楽。賢哉回也。
子曰く、賢なるかな、回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷にあり、人はその憂いに堪えざるも、回やその楽しみを改めず。賢なるかな、回や。
先生がおっしゃった。
顔回は賢いのう。竹の器に一盛のメシしか無く、ひさご一杯の水を飲み、きたない路地裏に住んでいる。みんな、そんな生活はいやじゃろう。ところが、顔回はそんな生活をしながらも、その楽しみを改めようとしない。おお、賢いのう、顔回は。
という、有名な一節です。
さて、顔回は何を楽しんでいるのか、考えてみませう。
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考えながら聞いていただければよろしいのですが、我が村の「回さん」といえばわたしの親戚に当たるひとである。
深目大鼻、繁鬚髯、貌大類俳場上所演回回状、予友丘長孺見而呼之謂回。
深目にして大鼻、鬚髯(しゅぜん)繁として貌(かたち)大いに俳場上に演ずるところの回回の状に類し、予の友・丘長孺見てこれを「回」と呼ぶ。
眼窩深く鼻が大きく、ほおひげ・くちひげ濃く、お芝居に出てくる「回回(ほいほい)」(ウイグル人)のかおかたちによく似ているものだから、遊びに来た我が友の丘長孺のやつが「回さん」とあだなをつけた。
これ以降、村のひとたちもみな、彼のことを「回さん」と呼ぶようになった。
だから以下、わたしも彼のことを本名ではなく「回さん」と呼ぶ。
回さんは智慧のあるひとなのだが、お酒を嗜むこと骨身に沁みているほどの酒好きである。おまけに若いころは妓(おんな)にも入れあげていたから、家屋敷、田畑、みんな人手に渡して貧乏暮らしをしていた。
おまけに博打も好きだ。
時与人賭、得銭即以市酒。邑人皆悪之。
時にひとと賭け、銭を得れば即ち以て酒を市(か)う。邑人みなこれをにくむ。
人と博打を打って勝ち、銭を得ることがあれば、すぐにその金で酒を買うてくるのである。こんな生活だから、村の(まともな)ひとたちはみな彼を悪し様に言うた。
わたしは、彼とよく飲んだ。
それで、村のひとたちに言われたものだ。
予輩亦可共飲、乃与無頼人飲、何也。
予輩また共に飲むべし、なんじ無頼人と飲む、何ぞや。
「酒を飲むならわしらと飲めばいいではないか。なぜあんなまともでないやつと飲むのだ?」
そこでわたしは答えてやりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下続く)
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明・袁小修「回君伝」(回君の伝)(「晩明二十家小品」所収)より。
頭痛いからもう今日はここまでにします。昨日はデモに行ったので、疲れて早く眠ってしまった。今日も現代史家として厳戒のよこはま・みなとみらい地区を調べたりしていたが、頭痛い。明日の夜も明後日の朝が早いので更新できないと思います。というか、パソコンがなかなか起動しなくなってきたので、もし壊れたらしばらく更新できませんので良しとせられたい。
では・・・・・え? 一昨日の回答? な、なんのことでしたかな・・・、(一昨日の日録を見る)ああそうでしたなあ・・・。
そこで、「春渚紀聞」を著わされた何子遠先生にはるばる八百年の行程を経て来ていただいた。
「先生、一昨日のご回答を」
「うむ。おほん。えー・・・
蓋古雷字、従四田。四田折之、是為八日也。
けだし古えの「雷」字は四の「田」に従う。四の「田」これを折らば、これ八日と為るなり。
つまりですな。古代の「雷」という字は(雨カンムリが無く)「田」を四つ書くだけの文字だったのです。(←この「田」は太鼓の象形で、雷鳴を表わしたのである。) さて、「田」の字を縦に折って二つに分けると「日」が二つできる。ということは、「日」が八つあると「田」が四つできて「雷」になるわけ。
「八つの日を合わせる」というのは「雷」という字のことだったのですな」
はあ。
「だからどうだ、というオチは無いのですな」
「ありませんな」
ということでした。
・・・・お。たったいま、延長12回でマリンがニホン一になりやがりなさった。テレビ・ラジヲは「下克上」とか言っているが、シーズン中のマリンはそんなに強いチームではなかった。ルールに則ってニホン一になった、といえば聴こえはいいが、要するに「楽したやつが儲けた」という状態。「そうですか、それはそれは」と事実を受け止めて短期決戦での強さを評価しておけばいいのですが、「三位一体の和」とか「知将・西村」とか、テレビ的な持ち上げをすればするほど道徳が地に墜ちていく。勝者の晴れやかさを称賛するのはキライではないのですが、あまり祝福する気になれないので不思議です。晴れやかな勝利ではないからだろう。