考えてみませう。
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蘇東坡先生の家には古い琴があったそうで、先生自身が
家有雷琴。
家に雷琴あり。
我が家には「雷琴」と呼ばれる琴がある。
と書いておられる。(「書琴事」)
蘇家が四川・眉山にあったころから代々引き継いだものだということで、いつの世のものとも知れなかった。「雷琴」と呼ばれているが、特段に変わった音色を出すわけではなく、名前にいわれがあるのか否かもわからなかった、のだそうである。
そんなある夏の晩に涼を求めてこの琴を弾いていたところ、黒雲が出て月を隠した。やがて俄か雨になり、激しい雷鳴が轟いた。
東坡居士、雷鳴に合わせて琴を弾いているうちに、その弦はげしく鳴動しはじめて止まらなくなり、そしてそのとき―――
ばしーーーん!
近いところに雷が落ちた。
「うひゃあ」
とびっくりしましたが、雷は門前の高い木に落ちたみたいである。
「ああびっくりした」
と安堵して、さて、雷琴を見ると、真っ二つに割れていた。
「おお!」
割れたおかげではじめてこの琴の中が空洞になっているのがわかり、
中有八日合之語。
中に「八日合す」の語あり。
空洞になったところに「八つの太陽が合わさった」という言葉が書かれていたのである。
さて。
不暁其何謂也。
その何の謂いなるかを暁(さと)らず。
「どういう意味なのか、よくわからないのじゃ」
先生はそう言いまして、門の外に
―――此、何謂也。(これ、何の謂いぞや。)
と貼り紙をした。
むかし夏の時代、天に「十日」(十の太陽)が現われたことがあり、地上は暑熱に苦しんだので、弓の名手であった羿(ゲイ)がこのうち九つを射落とした、というが、その十には二つ足らぬ。
ただし、実際のところは先生はにやにやしていたので、
先生非不解者。
先生は解かざるものにあらず。
先生はどうやらその意味がわかっているようである。
しかし、わざわざ貼り紙をしたのは、
以令後人思之耳。
以て後人をしてこれを思わしむのみ。
このことを以て後輩たちに考えさせようとのことであった。
・・・・ということで、どういう意味でしょうか。回答は次回。
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「春渚紀聞」巻八より。人生の深い意味などが隠されているわけではなく、ただのナゾナゾです。読んでてちょっとがっかりした。
それにしてもどうして尖閣ビデオを隠していたのか、尖閣ビデオが流出(内部告発)されたら、どうして廟堂の●房長官は、調査して「チュウゴクに報告申し上げる」のか、それよりもどうして隠していたのかから始まって事の経緯を「国民に報告申し上げる」べきではないのだろうか、というナゾナゾは、すべて「後人をしてこれを思わしむ」ためなのかと思うぐらい不可解。そして、ビデオの残りの部分を公開しろ、といわずに、流出経路の問題にすりかえている?マスゴミも不可解。沖縄密約のときと言っていることが反対だぞ・・・・。