平成22年10月26日(火) 目次へ 前回に戻る
いつも大切なことばかりお話しているので、聞いている方もお疲れでしょう・・・。(え?聞いてない?・・・そうですか。まあどうでもよろしい。毎日毎日のせっかくの大切な話をマジメに聞いていない、ということは、あなたがたにとってタメにならんことだ、というだけだからな。)今日は息抜きに、くだらない、役に立たぬお話をいたしましょう。
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陶朱公、といいますと、越王・勾践の謀臣であった范蠡(はんれい)が「王、艱難をともにすべく安楽をともにすべからず」(越王は苦難のときにはお仕えするにふさわしい方じゃが、成功の後には一緒にやっていける方ではない)と言い捨てて身を隠し、江湖にあって交易に従事して莫大な富を積んだ、その後に呼ばれた名でありますが、その陶朱公が「養魚経」(魚を養殖する方法)というハウツー本を著している。(※)
(※)もちろん後世の仮託である。
この書をひもとくに、
種魚
すなわち魚の養殖をするには、まず池を作ります。
池中作数洲。
池中、数洲を作る。
この池にはいくつかの島を設けておく。
そして、魚が、江や海を泳ぐときと同様に、岸に突き当たってしまわないよう、回遊できる形にしてやらなければならず、できれば九つの島を作って中華世界に象ってやるとよい、という。
続いて、二月の上旬の庚の日に、
取鯉魚有子者投池中。
鯉魚の子有るものを取りて池中に投ず。
ハラにタマゴのあるコイを選んで、池の中に放流するのである。
このあと、四月、六月、八月に、
各投一神守。
おのおの一神守を投ず。
それぞれ一匹づつ、「神守」(おまもりさま)を放たなければならぬ。
こうしておけば、冬には魚が養われ、大いに獲ることができるのである。
神守さまとは何か?
鱉(べつ)
のことである。「鱉」とは何か? 鱉はすっぽんのことである。
なぜ神守さまを池にはなっておかねばならないかというと、
魚至三百六十頭、則有蛟龍長之、因風雨則飛去。惟鱉守之則不能去。
魚三百六十頭に至るや、すなわち蛟龍ありてこれに長となり、風雨によりてすなわち飛去す。鱉のこれを守らばすなわち去るあたわざるのみ。
魚というものが池の中で三百六十の頭数を満たすと、水の龍が現われてそれらのリーダーとなるものなのである。そして、水龍は風吹き雨降るとき、これに乗じて眷属の魚どもを連れて空に昇って消えていくのだ。
しかし、すっぽんが見張っていると、水龍は空に去ることができない。
だから、すっぽんを放ち、龍と魚が空に逃げ出さないようにしておくのである。なお、三百六十でなく三千六百になると蛟龍が現われる、という説(「和漢三才図会」など)もありますので念のため。
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唐・段公璐編「北戸録」(「類説」所収)より。 え? 養殖業を始めるときに役に立ってしまう? そうですか。今回も役に立ってしまいましたか。毎回毎回役に立つことばかり載っているHPでほんと、申し訳ございません。
ちなみに王さんが文化功労者に・・・。