平成22年10月15日(金)  目次へ  前回に戻る

このHPを始めてから6年になりました。はじめは「石の上にも三年ぞ」と思ってやっていたのですが、六年やってもこんなものかと云爾。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

文人の龍仲房は画を善くしたが、梅の絵の極意を得たいと思い、梅の絵の名人であったという雪湖道人の画集(「画譜」)を入手しようと思い立った。

なにごとにも一途な男である。

遊湖渉越而求之。

湖に遊び越を渉りてこれを求む。

湖南から揚州、江蘇までもその画集を捜し求めた。

雪湖道人がこの世を去ってもう三十年に近い。その画集がまとまって遺っているものであろうか。

揚州に至ったとき、土地のひとに問うた。

雪湖画梅有譜乎。

雪湖の画梅、譜ありや。

雪湖道人の梅の絵の、画集は無いだろうか。

揚州のひとは、華北びとの龍仲房のなまりが聞きづらかったようで、

「もう一度言うてくだされや」

と訊いた。

雪湖画梅有譜乎。

と重ねて問うと、揚州のひと、ぽん、と手を打ち、龍の顔をみて二度三度と頷き、

「そうでしたか、そうでしたか」

とにこにこ笑いながら教えてくれた。

雪湖画梅李四娘標新出異、為譜十種。三呉所共賞也。

雪湖の画梅、李四娘の新を標して異を出だし、譜を為すこと十種。三呉のともに賞するところなり。

「雪湖の画梅」でしたら、李四娘という女性が、いつも新しい流行を作る、と称して新奇なものを発案し、これを集めた図冊を十種類も作って売り出しております。いにしえの呉の地方である揚州のひとびとはみんな彼女の売り出した図冊を称賛していますよ。

「なんと、そうですか、李四娘という女性がなあ・・・。そんなにあちこちに売り出されていたのか・・・」

龍は大喜びで、南京郊外の西湖のほとりに住むという李四娘の邸を訪ねた。

沿門遍叩、三日不見。

門に沿うて遍叩するも、三日見(あ)わず。

門を叩き、門前で面会を乞うたが、三日間会ってもらえなかった。

どうも彼女には特別な紹介――役人からの紹介状――を得たひとしか会えないようなのである。

それでもこの機会を逃すことはできぬ、と粘り強く面会を求めていると、

忽見湖上竹門自啓。有嫗出迎、曰妾在是矣。

忽ち湖上の竹門の自ら啓くを見る。嫗有りて出でて迎え、曰く「妾は是にあり」と。

突然、湖の側の竹でできた門がおのずと開き、老年に近い上品そうな女性が現れ、「わらわをお訪ねですか」と言うたのだった。

部屋に導かれて、早速に「雪湖の画梅」を見せてくださるように懇望した。

李四娘はしばらく目をしかめ、龍を疑い深そうに見つめていたが、やがて、突然、しなびた花がまた開いたか―――のように破顔一笑した。

妾乃官媒李四娘、有求媒者即与話媒、不知梅也。

妾はすなわち官媒の李四娘、媒を求むる者有らば即ちともに媒を話すも、梅を知らず。

「おほほほ・・・。わらわは官庁の御用達で、妾を求める士人のお歴々に女を紹介する「媒」(ばい。なかだち)を商売にしております。その方面では名の売れた李四娘ですわ。「媒」を求めるお方には「媒」のお話をしますけど、「梅」のことは知りませんの。」

「は・・・はあ・・・」

「おそらくあなたにわたしを紹介したひとは、

「雪湖画梅」(雪湖の画梅)

というあなたの言葉が聞き取れなくて、

「西湖画眉」(西湖の「画眉」=眉の描き方=お化粧の方法)

と聞こえたのよ。それで、

西湖画眉李四娘標新出異、為譜十種・・・・・

西湖の画眉、李四娘の新を標して異を出だし、譜を為すこと十種・・・・・・。

西湖のあたりで化粧の方法と言ったら、李四娘という女性がいつも新しい流行を作る、と称して新奇なものを発案し、これを集めた図冊を十種類も作って売り出しております・・・・・・。」

と答えたのですわ。」

そういうてまた、からからと笑った。

「でもあなた、とてもおもしろいひとね。あなたにならとってもお安くいい妓を取り持ってあげてよろしいわ」

「い・・・いや・・・」

龍は結局、得ることなく帰郷したのであった。

――――帰郷すると冬の終わりの時節。旅の疲れも取れぬまま、雪の止んだある晩、中庭に面した縁に座っていたところ、

値庭梅初放。雪月交映。

庭梅の初めて放(ひら)くに値(あ)う。雪、月こもごも映ず。

庭の梅が最初の花びらを開いたのを見つけた。雪の白、月光の白の中に、なお目にしらじらと白く開く花を。

「ああ」

龍は

忽躍起大呼、伸紙振筆、一揮数幅。

忽ち躍起して大呼し、紙を伸ばし筆を振るい、一たびに数幅を揮す。

突然おどりあがり、それから大声を出して紙をと筆を持ってこさせると、紙を広げ筆を振るってその梅を写生しはじめた。そのまま一気に数枚の画を描いたのである。

そして、

曰、得之矣。

曰く、「これを得たり」と。

「やっとわかったのだ、やっとわかったのだ」

と言うたのであった。

さて。

龍仲房はわたしの以前からの友人である。最初は遠く雪湖道人の画を尋ねて、梅を求めて眉に失い、眉からさらに媒にまで踏み外し、遠く行けば行くほど道から外れて行ったのである。ところが、

雪湖之梅譜近在庭樹間也。

雪湖の梅譜は近く庭樹の間にあり。

雪湖道人の梅画の画集は、遠くに求めなくても、すぐそばの中庭の木の間にあった、ということだ。

がっはっはっはあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あほか。最初から自分の家に居ればいいのに。「春は枝頭にありてすでに十分」と、こどもでも知っているよ、現代人は。すぐれているから。ね、みなさん。

清の水田居先生・賀子翼「激書」巻二より。ただし周作人大先生が紹介(「秉燭談」中「明珠抄六首」)していたので知った文章ですがね。

わしも六年間、こんなHPやっている間にもっと身近なことをきちんとやっておれば、いまごろは・・・?

 

表紙へ  次へ