平成22年10月14日(木) 目次へ 前回に戻る
秋になると、一人の燈火の晩には、友のことがなつかしいものである。
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岳石梁が東のかた、彼の故郷の町からやってきて、わたしの家に寄ってくれた。
その日の晩は、
風雨黯然。
風雨黯然たり。
風は鳴き、雨降る暗い夜であった。
わたしの書斎で彼と差し向きあったが、
酒頻温而易寒、燭累明而似暗。
酒頻りに温むも寒なりやすく、燭累りに明らむるも暗きに似たり。
酒を何度も温めても、すぐに冷めてしまう夜だった。
灯火がわれらを絶え間なく照らしてくれるのだが、それでも暗いままの夜だった。
きみと知り合うて、二十余年になる。
道義骨肉之愛、半宵傾尽。
道義骨肉の愛、半宵を傾け尽くせり。
ほとんど兄弟と同じような気持ちで付き合ってきたのだ。夜の半ばまで使い切って語り合った。
次の日の朝、彼はもう出かけねばならないというので、町の西のはずれを出て、さらに章水の渡し場まで見送った。
険而汔済。両岸相看、三顧而別。
険にして汔(きつ)済す。両岸に相看て、三たび顧みて別る。
流れの険しい渡し場であるが、水少なく無事向こう岸に渡った彼と、両岸に立って見つめ合った。じゃあ、と手を振って、それからまた三回、振り向き振り向き、別れてきたのだった。
それでも名残が尽きない。どうしてそうなのかよくよく考えるに、石梁の兄の石帆と会えなかったからだろう。
会えるはずがないのである。
石帆はもう死んだのである。
わたしは石帆の葬儀に立ち会うことができず、ひとを遣って弔いの料だけを届けた。石梁はその礼に、わたしの家に寄ってくれたのである。
見石梁如見石帆。
石梁を見るは石帆を見るが如し。
石梁に会うと石帆に会っているような気がしたよ。
けれど、
終不能了我見石帆之願也。
ついに我が石帆を見るの願いを了するあたわざるなり。
石帆にもう一度会いたいという思いを遂げることは、どうしてもできないのだ。
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というセンチメンタリズムに浸っているのはわたしではありません。玉茗堂である。「牡丹亭」のひとです。明・湯顕祖(字・若士)「与岳石梁」(岳石梁に与う)(「晩明二十家小品」より)。