平成22年10月10日(日)  目次へ  前回に戻る

十月十日は体育の日!ではないのですなあ。

↓こんなお話が好きなひとがいるかも知れませんので今日はこんなお話。いないと思うけど。経営者の方とか好きかも知れませんね。

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唐のことです。創業の名君・太宗皇帝、あるとき一樹の下にあった。

広がる枝葉を見上げて、

此嘉樹。

これ、嘉樹なり。

「これはいい木じゃのう。」

と言うた。

お側には近侍の宇文士及が随っておって、

美之不容口。

これを美として口を容れず。

「たしかに美しい木でございます」

と頷いて反論をしなかった。

すると、太宗、突然、色をなして怒りはじめたのです。

魏公常勧我遠佞人、我不悟佞人為誰、意常疑汝而未明也。今日果然。

魏公、常に我に佞人を遠ざけよと勧む、我、佞人は誰と為すかを悟らざるも、意常に汝を疑いていまだ明ならざるなり。今日果たして然り。

「魏公どのは、つねづねわしに「へつらいびとを近づけてはなりませぬ」と諌めている。わしはへつらいびととは誰のことであろうかと考えていた。心の中ではずっとおまえがそうではないかと疑っていたが、はっきりとは確信できていなかった。今日この時、ようやくやはりおまえがへつらいびとだとわかったわい。」

魏公とは諫言を以て聞こえた名臣・魏徴である。あんまり厳しいことを言うので、朝廷から後宮に戻ってきた太宗をして

会殺此田舎漢。

かならず此の田舎漢を殺さん。

「絶対にあの田舎じじいを殺してやるからな」

と切歯扼腕せしめた。

それを聴きつけた長孫皇后

「いったいどなたのことですの?」

と柔らかにおたずねになる。

太宗いう、

「魏徴のことに決まっておろう。あやつは毎回毎回朝廷でわしに恥をかかせおる。わしはどうして自分の考えたことを実行させてもらえないのか!」

すると、皇后は御前を引き下がり、ややしばらくすると祝いの際の服を着て中庭に出てきた。

太宗驚いて訊く、

「どうしてそんなかっこうをしてそこに立っているのだ?」

后答えて曰く、

「お祝いを申し上げにきたのですわ。

妾聞主聖臣忠。今陛下聖明、故魏徴得直言。妾幸備数後宮、安敢不賀。

妾聞く、主聖なれば臣忠なり、と。今、陛下聖明、故に魏徴直言を得。妾、幸いに後宮に備数す、いずくんぞあえて賀せざらん。

わらわはこう聞いておりますわ。―――君主が立派なれば臣下は忠義を尽くすだろう、と。

今お聴きしましたところでは、魏徴が忠義を尽くした諫言をしたとのこと。陛下が立派で明察なので、魏徴は直言して諌めることができるのです(。立派な主君でなければ諫言すれば罰を受けてしまいますもんね)。わらわは、おかげさまで陛下の後宮に数あわせ程度でございますが入れていただいております。陛下が聖明であることが証明できたのですもの、どうしてお祝いを申し上げずにおられましょうか」

聞いて、太宗は

「許せ」

と頭を掻いた、ということである。

――――という故事で有名ですね。

その他、いろいろなエピソードは「貞観政要」をご覧ください。

・・・・なような魏徴から諫言されていた、「へつらいびと」とはおまえであったのか。

「お、おゆるしくださいませ!」

突然のお怒りに、宇文士及は頭を地面に何度も叩きつけて謝罪した。

南衙群官、面折廷争、陛下嘗不得挙手。今臣幸在左右、若不少有順従、陛下雖貴為天子、復何聊乎。

南衙の群官、面折廷争し、陛下かつて挙手を得ず。今、臣さいわいに左右に在り、もし少しく順従あらざれば、陛下貴きこと天子たりといえども、また何ぞ聊せんや。

「南向きの役所(正式の朝廷のこと。後宮などの内向きの役所が北衙である)では、立派な大臣さまたちが論争して面前で陛下の主張を叩き折られ、陛下は手を挙げて反論することさでできないありさまでございます。今、幸いにもこのわたくしめは陛下のお側に侍っておりました。そのわたくしめまで陛下に従順に頷くのでなければ、陛下は天子の尊きにありながら、いったいどこで手足を伸ばすことができましょうか。(だからわたくしめぐらいは「へつらい」をすべきなのでございます。)」

「そうだなあ・・・」

皇帝は笑ってお許しになったということである。

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唐・劉餗(りゅうそく)、字・鼎卿が唐初の「いい話」(? 上記のような話とか、です。こんなのが「いい話」だと思ってもらえるならいいのですが・・・)を集めて編んだという「隋唐嘉話」巻上より。

なお、「隋唐嘉話」という書名は新・旧両「唐書」に出ず、一方で劉餗には「国朝伝記」という書があったとされているがその書が伝わらないこと、「唐語林」という本の中で、「国朝伝記によれば・・・」と言いながら現在の「隋唐嘉話」に載っているお話が引用されていること、から、もともとは「国朝伝記」という題名であったろうと考証されているのだそうです。なお、今日引いたお話も「唐語林」の「言語門」に「国朝伝記」所収として引かれているものだそうですよ。(程毅中「隋唐嘉話・点校説明」(1979中華書局)より)

 

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