平成22年9月3日(金)  目次へ  前回に戻る

←これではないか?

あんまり暑いんでイヤになってきましたな。

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18世紀も終わり近く。

浙江・太倉府の西門を出たところに水関橋という橋がかかっていて、そのたもとに龐天寿というひとが住んでいた。

この龐天寿はその方面では名の通った男で、拳法を得意とし、地域の男衆を仕切る自警団の幹部でもあった。

不幸なことに、彼は年七十を越えて、跡継ぎの息子に死なれた。

眚回(せいかい。「眚」(セイ)は「わざわい」を言い、それが「回」るのであるから、忌明けの精進落としの日であろう)の晩、天寿の配下の屈強の若い衆たち数十人が、その家で、酒盛りを開いていた。

深夜のこと。

部屋の隅にとばりがかかっており、その向こうには故人の位牌を祀る祭壇が置かれていたのだが、そのとばりの祭壇のあたりから、

きい、きい、・・・

と何物かの声がかすかに聞こえてきたのだった。

「なにごとじゃ・・・」

はじめは数人の若い衆がさかずきを止めて首をひねっていただけだったが、声はだんだんと大きくなり、部屋中で聞こえるまでになった。

男たちは互いに目を見交わしあい、やがて一人が意を決して立ち上がると、そこは日ごろから気心の知れた仲間たち、遅れるものかと立ち上がって、燭を手にして部屋の隅に近寄った。

先頭のひとりが、いくぶん顔を強張らせながらとばりを上げる。

男たちはその後から、燭を掲げて祭壇のあたりを覗き込んだ――――

ああ!

燭の光に照らされて、揺れる影もゆらゆらと、そこには

見一大鳥、人面而立。

一大鳥の人面して立つを見たり。

ひとの背丈ほどもある一羽の大きな鳥――しかもその顔は人間の――女の顔だ!――が突っ立っていたのだ。

若者たちはそのあまりに不気味な姿に、魔法にかかったように立ちすくんだ。

その若者たちの顔を眺めわたしながら、鳥は

きい!

と、鳴いて、人間のように笑った。

金縛りにあったように立ちすくんでいる若者たちの間から、ひとり天寿だけが

「妖怪め!」

と壁にかかっていた槍を握り締め、鳥を撃ったのである。

どすん。

槍は鳥の背中に突き刺さり、鳥は女の顔を歪めて「ぎいい」と鳴く。

此鳥欲飛不得、両翼撲人、宛如疾風、室灯尽滅。

この鳥、飛ばんとすれども得ず、両翼ひとを撲ち、宛として疾風の如く、室灯ことごとく滅す。

鳥は飛んで逃げようとするのだが天寿が槍を離さないので飛ぶことができない。両の翼ではげしく周囲のひとを払いのけ、まるで疾風のような激しい風を巻き起こしたので、部屋の灯りはすべて消えてしまった。

若衆たちは鳥の翼に打たれ、あるいは風にあおられて、みな床に倒れた。

倒れたまま、立ち上がることができない。

何か叫ぼうとしても声が出ない。

その中の一人に後に聞いたところでは、

如夢魘者。

夢魘者(むえんしゃ)の如し。

「まるで夢の中でうなされているひとのようであった。

声を出そうとしても声は出ないし、立ち上がろうとしても立ち上がれなかったのだ」

という。

ただ一人、老いた天寿だけがすさまじい膂力で、鳥に突き刺した槍を放そうとしなかった。

だが、

天将曙、力乏腕疲、鳥竟逸去。

天まさに曙ならんとするに、力乏しく腕疲れ、鳥ついに逸去せり。

ようやく空も明けようとするころ、とうとう天寿の腕も疲れ果て力が抜けた。鳥は自由になって飛び去ってしまったのである。

夜が明けてみると、天寿の顔は染料をかぶせたように青くなっており、倒れたままの若い衆たちの顔にも、おのおの青い色のしるしがついていたという。

―――さても、この青い色には何の意味がありましたのか。

数日すると若い衆たちのしるしは消え、七日もすると天寿の顔ももとに戻ってしまったのだそうで、天寿は

後猶活十余年、毎見人述其事、猶言、当時恨無人助我一臂之力也。

後、なお活すること十余年、つねに人に見(あ)うにその事を述べ、なお言うに「当時恨むらくは人の我が一臂の力を助くる無きを」と。

(このときすでに七十過ぎだったのですが、なお十年以上元気であった。そして、その後、人と話す機会があるごとに、

「あのときは残念じゃったなあ。誰かひとりでも、この老いぼれの片腕に力を貸してくれていればのう・・・」

と言うていた。

そして、バツの悪そうな若い衆たちをぐりぐり見回してにやにやしていた、ということである。

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いったい何だったのでしょうなあ。「履園叢話」巻十五より。記録者の銭泳は特に何の悪さをしているわけでもないので、これは「打眚神」(だせいしん。わざわい・けがれを払ってくれる精霊)ではなかったか、と考えているようですが・・・。ハーピーかも?

 

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