平成22年8月10日(火) 目次へ 前回に戻る
隋の大業年間(605〜618)、河南・鄭州の会善寺に明恭という僧がおりましたんじゃ。
明恭は学識が図抜けたり、特別に徳のある僧というのではなかったが、多くの民衆に慕われ、寺の中でも高く遇されていた。
何ゆえとなれば、彼は
其力若神。
その力、神の如し。
人間離れした怪力だったのである。
―――ある日、お寺に来たばかりの小僧が驚いた。洗濯してたたんでおいたはずの長老の僧衣が、いつの間にか本堂の大柱と床の間に挟まれていたからである。取り出すこともできないが、だいたいどうやってそんなところに挟まれてしまったのか皆目見当がつかない。
「これはおいらが叱られるのであろうか。だとすればあまりに不条理・・・」
と心配しながら長老のもとに行って正直に状況を伝えた。
「おお、それは明恭のしわざであろう」
長老は合点して明恭を呼び寄せたところ、明恭あたまを掻きながら、
「柱がぐらぐらするので支えに、と思うてはさんでしまいもうした。申し訳ござらぬ」
と言うて、薄い板切れを手にすると本堂の大柱の下に行き、
ひょい
と片手で
捧柱取衣。
柱を捧げて衣を取る。
大柱を持ち上げ、もう一方の手で衣を取り出した。
そして、そのあとへ板切れを差し込んで、柱を元どおりに置いたのである。
大柱が上下するたびに、本堂の棟や梁がギシギシと鳴ったが、板切れをはさんでしまうと、本堂の建物は以前よりもしっかりとし、しばらくして大風があったときにも少しも揺れなかったという。(←ちなみに、柱の下に衣服などを挟んでしまうのは、怪力伝の常套エピソードである。)
―――小僧もしばらくいるうちに寺に馴れ、ある日、明恭にしたがって檀家のもとにお使いに出かけた。
その帰りの山道で、
見虎猪交闘。
虎・猪の交闘するを見る。
トラとイノシシがせめぎあっているのを見かけた。
イノシシがじわりじわりと不利になりつつあるようである。
明恭はトラに向かって、
「おまえさんの勝ちはもう明らかじゃ。そのイノシシは
可放令去。
放ちて去らしむべし。
逃がしてやりなされ」
と声をかけた。
しかし、トラは(人間の言葉がわかるのかどうか知らんが)無視して、いよいよイノシシを組み伏せ、その背骨をへし折ってしまおうというほどに押さえつける。
「言うてもわからぬのか」
明恭はすたすたとトラの側に近寄ると、
以一手捉頭、一手撮尾。
一手を以て頭を捉え、一手を以て尾を撮(つま)む。
片手でむんずと頭をつかみ、もう一方の手でしっぽをつまんだ。
そして、
「頭を冷やしてくるがよいわ」
と
擲之山下。
これを山下に擲つ。
トラを山の上から崖下へ投げ落としてしまった。
どぶん。
トラは崖の下の淵に投げ込まれ、何とか向こう岸に泳ぎつくと、ほうほうの態で逃げて行ってしまった。
「よし、では行くか」
と明恭から声をかけられたとき、小僧は小便をちびってしまっておったということである。
―――大業年間の末には天下は麻の如くに乱れ、各地に群盗が出現した。
あるとき、数十人の群盗が寺に現れ、酒食を出すよう命じたことがあった。
明恭はほかの僧侶たちを裏から逃がしておいて、一人小僧を手許に止め、群盗たちを門から招きいれると、
「ただちに食事を用意いたします」
と言うて、特別に巨大なブタを引き出してくると、これの頭を素手で叩いて息の根を止めてしまい、小僧に命じて火を起こさせてブタを焼きはじめた。
焼きながら、明恭は
「ブタが焼けるまで、これで小腹をおおさめくだされ」
と、まるで皿のような大きさの餅(ぴん)を人数分出した。あまりの大きさに盗賊どもが逡巡していると、
「お食べにならないのなら、ではわしがいただきましょう」
明恭はその巨大な餅(ぴん)を数十枚、残らず食べてしまったのである。
そして、
「やや、ちょうどいい焼き加減じゃ」
とブタを火から下すと、
安猪啖之、須臾食尽。
猪を安んじてこれを啖(くら)い、須臾にして食い尽くす。
ブタを置いてこれを食べ始め、あっという間にすべて食べつくしてしまった。
群盗は驚き、
「ま、まいりましてございます」
と平伏してこの後は
護寺壇越(ごじだんおつ)=お寺を保護する在俗信者
となることを誓った。
隋唐交軍、其境絶賊往来。
隋・唐軍を交うるに、その境には賊の往来を絶す。
隋と唐が天下を争っている間、鄭州一帯は群盗が往来しなかった。
それは、この明恭と護寺壇越たちの軍事力を恐れたからなのである。
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元・無名氏「神僧伝」(明・呉琯編「古今逸史」所収)巻五より。
動物愛護にして怪力、さらに殺生戒や肉食戒など断然無視のフードファイターでもあったのである。かっこいい。こんなひとがいたら後先考えないオンナどもはイチコロでしょうね。 え? イケメンだったら? はあ。