平成22年7月19日(月)  目次へ  前回に戻る

「二日ほどさぼったので二日分」

孔子が亡命中に陳と蔡の国の間で危険人物として包囲され(他人に間違われたともいいますが)、食べ物も無くなって難儀した、という事件がありまして(論語・先進篇など)、これを「陳蔡の厄」と申します。

このとき、孔子一行はあかざのスープを飲むばかりで、七日の間穀物を食べることができなかった。さすがにハラが減ってかなり弱ってまいったので、孔子は昼寝しておりました。

このとき、弟子の顔回がなんとかコメを求めることに成功し、

爨之。

これを爨(かし)ぐ。

これを炊きはじめた。

そろそろ炊き上がるかな、というころに孔子は起き出して、顔回が離れたところでコメを炊いでいるのをちらりと見たのだが、そのとき、

望見、顔回攫起甑中而食之。

顔回の甑中より攫起(かくき)してこれを食らうを望み見る。

顔回がカマの蓋を開けて、その中からそっとコメを撮み出して食っているのを見てしまった。

弟子たちもハラが減っているであろう。しかし、つまみ食いとは何事であろうか。まあしかしとがめだてするのはあれだしなあ・・・。

孔子佯為不見之。

孔子、佯(いつわ)りてこれを見ずと為す。

孔子は、見なかったことにしたのだった。

そして、そのまま眠っているふりをした。

しばらくすると顔回が、

「先生、メシです。メシを手に入れまして、そのメシが炊けました」

と呼びにきた。

孔子は今起き出した、というふうに起き上がりまして、むにゃむにゃと言う、

今者夢見先君、食潔而後饋。

今、夢に先君を見るに、食潔くして後饋(おく)れ、と。

今さっき昼寝の夢に死んだおやじが出てきたのじゃ。おやじが言うには、「メシが汚れている、きれいなメシを食わせろ」と。

そして、顔回をぎろぎろと睨んだのであった。

おまえは汚い手でつまみ食いしたではないか。それは食いたくないのじゃ。しかし、それをはっきりと言うては弟子を傷つけるから、わしは言わず、夢にかこつけて反省を求めるのじゃ。

すると、顔回答えて、

不可。向者媒炱入甑中、棄食不祥、回攫而飯之。

不可なり。向(さき)に媒炱(バイタイ)甑中に入るも、食を棄つるは不祥なれば、回攫してこれを飯するなり。

なりませぬ。先ほど、焚き木の煤(スス)がカマの中に入ってしまいましたが、食べ物を棄てるのは佳くないことだと思い、蓋を開けてススを取り去って炊き上げました。

「そのようにして作ったものを汚いから、と言うて棄てることはできませぬ」

「なんと! おお、そうであったか」

孔子は顔回がツマミ食いしたのではないことを知り、弟子を疑ったことを反省するとともに、弟子どもに教えて言うた、

所信者目也、而目猶不可信、所恃者心也、而心猶不足恃。弟子記之、知人固不易矣。

信ずるところは目なり、而して目なお信ずるべからず、恃むところは心なり、而して心なお恃むに足らず。弟子、これを記せ、人を知ることもとより易(やす)からざるなり。

わしらは目に見えるものを信じて生きているわけだが、目で見えたことをすべて信じ(ツマミ食いだと思い)込むことはできないのじゃ。わしらは自分の心をよりどころにして生きているわけだが、心の判断するところがすべて依存できるほど確かかというとそうではないのじゃ。

おまえたち、ようく覚えておくがいいぞ。人を理解することはまことに困難なことなのである、と。(顔回がツマミ食いなどする人間ではないと信頼することさえできなかったのじゃからな)

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「呂氏春秋」審分覧・任数より。

自分が勘違いしただけではありませんか、それをネタに説教するなよ、と突っ込みたくなりますが、突っ込んではなりませんぞ。

聖人の言行ですから、突っ込まずに「なるほどのう」と聴かねばなりません。

なお、孔子と顔回はたいへん信頼しあっていたので、貝塚茂樹先生などは「同性愛的」とわざわざ評しているのですが、「的」なんではなくて、古代のオトコ衆たちの集団としての結束というのはエロスティックな面も含んでいるのは、ギリシアあたりを見れば当然のことではありませんか。

・・・とイロを為して言うとへんな誤解を呼ぶかも知れません。

・・・ので、話を替えまして、

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むかし、孔子の弟子の曾参(A)が費の町におりましたときのこと。費の町にはもう一人、曾参(B)という男がおりまして、この男(B)が市場で人を殺してしまった。

あるひとが、曾参(A)の母親に、

曾参、殺人。

曾参、人を殺せり。

曾参が人を殺してしまいましたぞ。

と教えた。

曾参(A)の母は、ちょうどそのとき機織をしておりましたが、機織台から下りることもなく、

吾子不殺人也。

吾が子、人を殺さず。

わたしの子は、ひと様を殺すようなことは致しませんよ。

と答えて、そのまま機織を続けました。

しばらくすると、また人がやってきて、

「いま聴いたんだけど、

曾参殺人。

曾参、人を殺す。

曾参が人を殺してしまったんだそうですぞ。」

と教えた。

しかし、曾参の母は先ほど同様に機織を続けていた。

しばらくすると、また別の人がやってきて、

「奥さん、奥さん、

曾参殺人。

曾参、人を殺す。

曾参が人を殺してしまったぞ」

と教えたところ、

其母懼、投杼窬墻而走。

その母懼れ、杼を投じて窬墻(ゆしょう)して走る。

曾参の母は恐れて、杼(ひ)を投げ出し、垣根を越えて逃げだしてしまった。

のであった。

論者曰く、

夫以曾子之賢、与母之信、而三人疑之、雖慈母不能信也。

それ、曾子の賢と母の信を以てし、而して三人これを疑えば、慈母といえども信ずるあたわざるなり。

ああ、それそれ。孝行者として名高い曾子ほどの賢者でありますぞ。お母様も信頼なすっていたはずじゃ。それでも、三人が疑念を持たせれば、やさしいお母様といえども信頼仕切れないものなのじゃ。

といいまして、多くのひとが言い立てればどんな信頼関係も崩れる、あるいは崩すことができる、という故事成語になってございます。

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「戦国策」秦策二より。こちらはさすがにこの故事から「マザー・コンプレックスがなんたら」「阿闍世コンプレックスがなんたら」「母子結合の不全がなんたら」と論ずるひとは見たことがありませんが、疑問が一つあります。曾参が人を殺すと母親が逃げ出すのは何故か。

一族も捕まるから? 

そうではなくて、殺された人の一族からの復讐を恐れたのではないか、と思います。そうすると、実は、曾参(A)がほんとに殺したかどうかではなくて、曾参(A)が殺した(かもしれない)というウワサだけで復讐される可能性は高まりますから、三人までがウワサしはじめれば、「これはまずいわね」と曾母が逃げ出したのも、信頼関係云々の問題ではない、ような気もしてまいりますが、そんなこと考えながら古典を読んではいけませんね。故事成語は「考える」ための材料ではなく、朝礼に使うためのものだからである。

いずれにせよ、顔回の場合も曾参の場合も、信頼さるべき師匠、あるいは母親からも疑われたのでございます。

知己難哉。

知己は難いかな。

自分を理解してもらい信頼してもらう、ということは本当に難しいことですなあ。

と明の屠赤水も言っております(「娑羅館清言」103則)。難しいというか無理というべきか。

 

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