平成22年7月16日(金) 目次へ 前回に戻る
八丁堀地蔵橋たもとに住める谷口月窓は画人であってその名すこぶる高かった。
その母が芝居に行ったときのことである。
心安くしていた近所の老女(銀座二丁目住と伝わる)、平生より芝居好きであったひとが同様に見物に来ており、ちょうど隣の桟敷であったのでおしゃべりをした。
言語平生に替事(かはること)なかりしとなり。
会話や立ち居振る舞いなど、普段どおりであったということだ。
少し不思議といえば、そのひと芝居好きにもかかわらず、最後の一幕の始まる幕間に
「では、お先に」
と帰って行ってしまったことであったが、何かしら用事があるのだろうと疑問にも思わなかった。
帰りしなに隣の桟敷を見ると、いつの間にか別の客が座っていたが、さきほどまでいた老女が手にしていた手巾が、きちんと畳まれて、桟敷の隅に忘れられていた。
「お忘れになっていったようだね」
とそれを持ち帰り、その翌日、その家に訪ねて行ったところ、その家の主人言うに、
妻は百日程前に死亡せしなりと。
「やつがれの女房は百日ほど前に死にましたのじゃが・・・」
しかし、持って行った小物は、確かにその女性の物であった、ということだ。
身の毛よだちけるとぞ。
ああ、おそろしいことでございますなあ。
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漢文アリジゴクにはまっているので、時折はアリアドネーの導きの糸にもなるかと和文を読んでみた。なかなかアリジゴクから脱け出られるわけではありませんが、しばしの心休めにはなりましょう。
東京ではもうお盆が過ぎましたが、そういえば
「では、お先に」
と言うてこの数年も多くのひとが先に行かれましたものじゃ。
われわれはもう片足を墓穴に入れているのに、われわれのかずかずの欲望や企ては次々に生まれ出るばかりだ。(モンテスキュー「エセー」)
気をつけねばなりませぬ。昨日は大相撲ナゴヤ場所を桟敷席で見ていて死んでしまったひとが出たらしいです。いつどこで行くことになるかわかりませぬのじゃ。
上の事件は文政のころのことという。増上寺僧・竹尾覚斎「即事考」巻四(三田村鳶魚編「鼠璞十種」所収)。