いろんなことがあるものですなあ。
先日(7月1日)、清の嘉慶年間における大グモと龍の闘いについて報告しました@が、その類似事案らしきものが明代の「七修類稿」(続稿巻六)にも記述されていることに気づいた。
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A都南濠なるひとから聞いた話であるが、弘治年間(1488〜1505)に登州の山中でクモと龍(←これは一匹であるらしい)が闘い、
龍為蛛糸所困、後有火龍来焚其糸。
龍、蛛糸の困ずるところと為るも、後に火龍来たりてその糸を焚くあり。
龍はクモの糸に捉われて苦しい状態におちいったのだが、後から火龍がやってきて、クモの糸を焼いたのであった。
清の話(@)ではクモは死にませんでしたが、この伝えでは、火龍の火で焼かれて
蛛不能為、遂為龍取珠去、蛛死。
蛛為すあたわず、遂に龍の珠を取りて去ると為り、蛛死す。
クモはどうすることもできず、とうとう龍にそのタマを取られてしまって、クモは死んでしまったのである。
とされている。もともと龍は蜘蛛の珠を取ろうとしたものであるらしい(クモは腹の中にタマを持つという。このことは平成19年ぐらいに記述したハズ)。
クモが死んだことは、
黒水流山下。
黒水の山下に流る。
山の下まで黒い水が流れてきた(この水はクモの体液である)。
ことでわかった。
後日山中に入ってクモの死骸を見た、というひとの話では、このクモのさしわたしは、足を除いても一丈六尺あったという。
このことを聞いても、自分はウソか本当か決めかねていたが、B今度は「雙槐歳抄」という書物(←これも明代の筆記小説(=随筆集のこと)である。そのうちご紹介することになろう)を閲していたところ、成化七年(1471)の蘇州での事件として、クモと龍が闘って双方が死んだことが記録されていた。
さらに、C友人の呉両江が言うに、彼の家に滞在していたことのある某という人が、その後、一家で山中に移り住んだのだが、
一夜為龍来取蜘蛛之珠、山木尽折、水湧数里、挙家遭害。
一夜、龍来たりて蜘蛛の珠を取るを為し、山木ことごとく折れ、水数里に湧き、挙家害に遭う。
ある晩、龍がやってきてクモの珠を取ろうとした(らしく)、付近の山木はすべて折れ、数里の間が水浸しとなり、しかして某の家はこの災害に巻き込まれて一家全滅した。
ということがあったのだそうである。
これらを総合してようやくわかった。すなわち、
六合之内、異物、異事、未可以不見為怪也。
六合の内、異物、異事、いまだ見ざるを以て怪と為すべからざるなり。
東西南北、上と下、のこの世界の中では、おかしなモノやおかしなコトの存在を聞いたとして、「まだ見たことがないから在り得ないことだ」と考えてはならないのである。
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Cで某の家が一家全滅した理由がなぜ龍とクモの戦いだったのかについては物的証拠が無いのは残念ですが、Aの方は「黒水」や後日に大グモの死骸を見たひとも証言も残されているので真実でありましょう。@の例でも「人間の腕ほどの太さのクモの糸」が遺されていました。以上から大グモがいたことはほぼ確実。とすると、勝敗のはっきりしないC、記述が簡単にすぎて経緯の明らかでないBを除きますと、明の例(A)ではクモの負け、に対して清の例(@)ではクモは引き分け以上の成果を挙げており、この200年ほどの間にクモの方が大分進歩したのが明白になります。龍の方はほとんど進歩のあとが見られないので、さらに200年経ったゲンダイでは龍をほとんど見かけないのも当たり前に思われてまいります。よね。
(・・・大グモと思っているのは大グモの形をした粘菌だったのかも知れない気もしてきましたが・・・。)