「ひひ。ひひひ。ひっひっひ・・・」
土曜日なので自分に戻り、わしは楽しく読書しておりました。
本日読んでおりますのは1990上海古籍出版「清史満語辞典」なる本で、「なるほど、そういう意味だったのか」と新しい知識が学べます。
例えば「清史稿」(巻132)に、同治十三年(1874)に奉天において八旗から練馬隊二千人を選び、さらに
選蘇拉千人為余兵。
蘇拉千人を選びて余兵となす。
「蘇拉」(ソラ)を千人選んで補充兵とした。
という記述がありますが、この「蘇拉」とは何であるか。
この本を読むなれば、一目にてわかります。
蘇拉:満文sula。漢義為閑散、松散。
「蘇拉」とは満洲文でいうところの「スラ」である。漢文での意味は「閑散」とか「松散」ということである。
ということで、「蘇拉千人を選んだ」というのは、「八旗所属のひとで職の無い者から千人を選抜した」ということだとわかった。
また、「蘇拉昂邦」という官職があります。かなり偉いひとらしいことはわかります。この官職の意味もこのたびわかりました。「昂邦」(コウホウ)は「満文amban。大臣、大員」だそうです。したがって、「蘇拉昂邦」は「スラー・アムバン」で、「閑散な大臣」であり、漢語の「散佚大臣」、内大臣とともに天子の行列に従う無任所大臣のことでした。
「ああ、賢くなった。うれしいのう・・・、ひっひっひっひっひ・・・」――――
とにやにやしていますと、軽い地響きが
どどどどどど・・・・・
と起こった。
「お。地震かな」
と机の上に書を置いたとき、庵の扉を叩く音がしましたのじゃ。
どんどん
「一体誰じゃな、こんな夜更けに・・・」
とドアを開けてみたところ――――
「肝冷斎、久しぶりであるのう」
しわがれた声が足元から聞こえた。
見下ろすと、そこには背丈15〜20センチぐらいの白いヒゲのじじいが杖が曳いて立っていたのである。
「うひゃあ、あんたは・・・」
・・・・みなさんだとそんな小さなじじいを見たら「うひゃあ」とびっくりするかも知れません。
しかし、わたしはびっくりしたのではないのです。
このじじいは、九州山地の奥から西ニホン各地の精霊たちに睨みを利かせている玉手姫さまの家老である豊後ねずみ殿である。わたしがびっくりしたわけでもないのに「うひゃあ」と言ったのは、玉手姫さまから依頼されていることがあったのにしばらく忘れていたのを思い出したからでした。
案の定、豊後ネズミ老は、
「姫さまにおかれては肝冷斎に命じた、江戸〜明治・大正期において作られた西日本「ご当地漢詩」の報告が無いのはどうしたことか、とぶすぶすお怒りが貯まってまいっておられるぞよ」
とおっしゃるのである。
「あんまりさぼっておうようじゃと、姫様の「電撃」をおくらわせ申し上げることになろう、ということであるぞよ」
「あわわ・・・」
※わしは玉手姫の電撃の恐ろしさに震え、
「そ、それはその、や、やつらが(と、ここでわしは○○、○○、○○などの「表の職場」の関係者の名を上げた)、やつらがいけないのです。やつらがわしに表のシゴトを無理ヤリにさせるので、わしはマコトのシゴトができず、ご報告も遅れた次第にございます・・・」
「ふーむ」
豊後ネズミ老は腕組みしてわしを睨み、
「まあ、今回は警告じゃからな。おまえにはもう「表のシゴト」をしなくてもいいよう「マコトの報酬」も用意されているのじゃ。そろそろ「表のシゴト」も店じまいして「マコトのシゴト」一本に絞らないと、きついお叱りを受けることになるぞよ」
「ははー!」
と伏し拝んでいるうちに
どどどどどど・・・・
と地響きがして、わしの庵の前の地面が割れた。
「ではまた会おうのう・・・」
コトバを残して豊後ネズミ老は、地割れの中に消えて行き、
どどどどどど・・・・
再び地響きとともに地面の割れ目は塞がってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ああコワかった。そろそろマジメに「マコトのシゴト」をしないといけないかも知れぬなあ。「表」はイヤだしなあ・・・。もう一人の方からも叱られそうだし・・・」
とまた書物を開きかけたとき、今度は窗がガタガタと鳴り出した。
「ま、まさか・・・」
と窗を開けると、
ひゅううううう・・・・・
と、七月というのに霧と氷を交えた風が吹き込んで来る。そして、ベランダには身長20センチほどの、羽の生えたじじいが立っていた。
「うひゃ、これは松前カモメ老・・・」
「肝冷斎よ。北海道の山地から東ニホン各地の精霊ににらみを利かせておられる降雪姫さまから依頼した、東ニホン「ご当地漢詩」ご報告のシゴトはどうなっているのじゃ? あんまりさぼっていると姫様の「氷撃」が・・・」
「あわわ・・・」
以下、※から繰り返し。
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ということで気楽に読書しているわけにいかなくなりました。
はい。では、今日は、両方にお喜びいただけるよう「天龍・糸魚川線」(フォッサ・マグナ)沿いの「ご当地漢詩」を報告して、両方から点をいただくことにします。
一道奔流劈地開。 一道の奔流、地を劈(さ)きて開き、
灘声捲雨闘風雷。 灘声は雨を捲きて風・雷を闘わす。
蹇予不有飛翀翼、 蹇(ああ)、予は飛翀(ひ・ちゅう)の翼有らざるに、
両度天竜河上来。 両度 天竜河上に来たる。
ひとすじの奔流が山並みを切り裂いて下りてきた。
岸壁を打つ水の音が雨を逆上させ、風と雷を争わせる。
オオー! わしはかなたに飛ぶ翼を持たぬ身であるのに、
ふたたびこの天竜の河のほとりに立ち、この流れを越えねばならなくなったのじゃ。
梁川星巌の「天竜河上口号」(「天竜川のほとりでおれは口ずさんだ」)。文化七年(1810)、美濃から江戸に出府した(これが二度目の出府だったので「両度」といっているのだそうだ)ときの詩で、このとき星巌はまだ二十二歳ということですから、まだ紅蘭女史と「めをと」になるずっと以前の作である。詩中「風・雷」とあるのは、読んだひとはすぐに「風雷、益なり」(風が上にあり雷が下にある卦は「益」(どんどん増える)である。)という「周易」の「益・卦辞」を思い出して、どんどん激しくなる風と雷雨、さらに風の精である虎と雨の精である龍の相搏つ凄絶な場面を想像するはず。「蹇」(ケン)は一般に(「周易」の卦名としても)「足をひきずる」「行き悩む」という意味ですが、ここは「蹇予」と続いて「楚辞・離騒」の珍しい用法である「ああ、われ」という読み方(「蹇」は発語の辞、「ああ」「おお」の意)をさせるつもりらしい。「翀」(ちゅう)も珍しい字ですが、「沖」(岸辺をかなり離れた水面)と同じで「(「羽」の世界である空中で)かなり離れたところ」を意味するらしい。
青年の不安と高揚感の籠もったいい詩だと思うのですが、「口号」(口ずさみ)の詩、といいながらかなり難しい用語を使っていて、実はずいぶん後で直しているらしいのが、若いうちから星巌道人らしいところである。(蛇の足:「梁川星巌」を「梁川☆巌」と書くと「つのだ☆ひ○」みたいな雰囲気が出ますね)
★今回の得点 玉手姫・・・「山を裂く水の表現を評価せり」→23点 降雪姫・・・「風雷の激しきを喜ぶ」→20点