平成22年6月28日(月) 目次へ 前回に戻る
夜光の珠
朱仲というのは漢の初めのころ、会稽のひとであるという。
高后(漢高祖の后、呂后のこと。恵帝のあと天下の政を執ったのは前187〜前180)が天下の州県に書を発し、
三寸珠
の買い上げを希望する旨を報せてきたことがあった。
漢のはじめごろの一寸は2.8センチだそうですから、直径8センチほどの真珠を欲しがったわけである。
朱仲、その書を見るとニコニコ笑いながら、自分の荷物袋に向かって
直値汝矣。
直ちに汝に値せん。
「これこれ、おまえにもう買い手がついたようですぞ」
と話しかけたのだった。
「なに、あいつ、キモい」
とその姿を見ていたオンナの子に言われたかどうかは知らんが、彼はすぐさま会稽を立って都・咸陽に向かい、宮廷に赴いて
珠好過度。
珠、好きこと度を過ごせり。
「わしの持ってきた真珠は(単に三寸の珠であるだけでなく)、その素晴らしさは普通ではござりませぬ」
と宣伝して、その真珠を奉った。そして、
即賜五百金。
即ち五百金を賜る。
すぐに金貨五百枚でお買い上げいただいた。
のである。
「ほほほ、長居は無用ですな」
と帰路に着こうとしたとき、呂后の娘である魯元公主さまより内々の使いがお見えになり、
「ぜひ、おかあさまに奉ったのより大きいのを手に入れたいの。もし手に入ったら七百金を差し上げますわ」
とご注文あり。
朱仲、また荷物袋に向かって
「おやおや、おまえにまで買い手がつきましたぞ」
と囁くと、その日のうちに公主の御殿に行った。
四寸珠(直径11センチの真珠)
を奉って金貨七百枚を受け取ると、これを荷物袋に入れながら、
「随分お金が貯まりましたね。おまえたちに買い手がついても、もう金貨を入れるところがありませんな」
と袋の中に話しかけ、その足で会稽への帰途に就いたのであった。
間もなくして高后は崩御され、魯元公主にも不慮のことがあった。これにその珠が関わっていたのかどうなのか、宮中の畏いところから会稽に使者が立てられ、「ぜひとも朱仲を都に連行せよ」との指示があったが、そのときには彼は
不知所在。
所在を知られず。
どこにいるものかまったく知れなくなっていた。
その後、時代は下って四代目に当たる景帝(在位:前157〜142)のとき、会稽から来たって
「これらはもうわたくしの手許に置いて監視しておく必要はなくなり申した」
と称して
三寸珠を数十枚
献上したまま行方知らずになった商人があったが、これが朱仲本人であったともそうでないとも言う。
・・・・世のひと、彼を讃えて歌いて曰く、
朱仲無欲、聊寄賈商。 朱仲無欲にして、聊(しばら)く賈商に寄す。
俯窺驪龍、捫此夜光。 俯して驪龍(り・りゅう)を窺い、この夜光を捫(な)づ。
発迹会稽、曜奇咸陽。 迹を会稽に発し、奇を咸陽に曜(かがや)かす。
施而不徳、歴世弥彰。 施して徳とせず、歴世いよいよ彰らかなり。
朱仲さまには欲がない。しばらく商人に身をやつし、
黒龍のようす覗き込み、顎の下から夜にも光るこの珠を得た。
会稽の町にいたといい、咸陽の都で不思議を起こす。
献上しても手柄にはせず、以来世々にその名高らかなり。
ちなみに「驪龍」(りりゅう)は「黒い竜」です。「荘子」列禦寇に、
千金之珠、必在九重之淵、而驪龍頷下。
千金の珠は必ず九重の淵、而して驪龍の頷下に在り。
千金の値打ちの珠は、必ず九段にもなった深い深い淵の底、眠っている黒光りする龍のあごの下にあるものなのさ。
と言うて、まことに価値あるものの得難く見えるに喩えているのを踏まえる。
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漢・劉向「列仙伝」巻上(明の「古今逸史」所収)による。劉向が生きたのは前漢末(前77〜前6)ですから、彼から見たら景帝の時代というのは「ほんの百年ぐらい前」のこと、われらにとって大正デモクラシーのころのイメージであろう。