平成22年6月20日(日) 目次へ 前回に戻る
嘉靖庚子年(1540)、杭州に三大事件が起こった。
1.穏婆為人収生反生子於産家。
「穏婆」は産婆さんのこと。
穏婆のひとのために生を収むるに反って子を産家に生む。
(妊娠していた)産婆さんがお産に呼ばれて行った先で、自分の子どもを産んでしまった。
2.医人因急症死於病家。
医人の急症によりて病家に死す。
医者が往診に行った先で、急病になって死んでしまった。
3.蔡倉官権巡捕而為強盗劫掠。
蔡倉官の巡捕を権して強盗の劫掠するところとなる。
蔡という物資の収納を掌っている官吏で巡回警察隊を兼ねていたひとが、強盗にあって掠奪された。
以上の1〜3です。
どれも別に笑うような話ではないのですが、三つ合わせて当時「三笑事」と称された。
あるひとが詩を作って曰く、
穏婆生子収生処、 穏婆子を生む 生を収むるの処に、
医士医人死病家。 医士ひとを医して病家に死す。
更有一般堪笑者、 更に一般に笑うに堪うあるは、
捕官被盗叫爺爺。 捕官盗せられて爺々(やや)と叫ぶ。
当時、「強盗」という言葉を口にすると自分の家がヤラれる、という俗信があり、ひとびとは強盗を指して「爺爺」(おやっさん)と呼んだ。いわゆる「忌み言葉」ですな。「ネズミ」のことを「よめがきみ」と言うたりするやつです。
産婆さんが子を産んだ。子を産むのを手伝いに行った先で。
お医者がひとを治療しに行って病人の家におっ死んだ。
それよりこれより可笑しいのは、
取締官が強盗に入られて「おやっさんが来た、おやっさんが来た」と叫んで助けを呼んだとさ。
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「七修類稿」巻五十より。
あんまり可笑しいとは思いませんしご本人たちにはそれぞれ同情する(産婆さんには祝意を表する)べき事件ではないか、とゲンダイ人としては思いますが、弱い者をさらに叩く習いのみなさまですからなあ。どうぞ大いにご参考にしていただきたいと思って訳しましたのじゃ。