平成22年6月14日(月) 目次へ 前回に戻る
清の後半、嘉慶・道光のころ、桐郷の村に一読書人あり。
立派なひとであったが、
好閲淫書。
淫書を閲するを好む。
エッチな本を見るのが好きであった。
単に見るのが好き、というだけでなく、ほとんどマニアであったようで
捜羅不下数十百種。
捜羅して数十百種を下らず。
エッチな本を探しては買い求め、ほとんど数千冊も持っていた。
楽しかったでしょうなあ。こういうのは見るのが楽しいのではなく、とにかく集めることが喜びなのです。
ところで、この読書人には子どもがおりました。少年にして聡明で将来を嘱望されていましたが、
毎伺父出、輙向篋中取淫書観之。
つねに父の出づるを伺い、すなわち篋中に向かいて淫書を取りてこれを観る。
父が出かけるのを待ち受けてはその部屋に忍び込み、書箱からエッチな本を取り出してはこれを見ていた。
少年は、
従此纏綿思想。
これより纏綿として思想す。
このせいで、いろいろとあれこれ妄想しだすようになった。
やがて、現実と妄想に区別が無くなってきて、つねにエッチなことを考えているようになり、精を衰えさせて痩せ細り、死んでしまった。
其父悲慟不已、相継卒。
その父、悲慟してやまず、相継いで卒す。
父親は我が子の死を悲しみ、慟哭し続けて体を痛め、後を追うように亡くなったのだった。
オトコの子のいるお父さんはたいへんですね。
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「履園叢話」巻十七より。清の時代の「小さな」事件、身につまされるけど同情は・・・しない・・・ぞ。
ところで、児ポ規制条例。わたくし澁澤龍彦先生のファソですが、彼がサド裁判で「わいせつとはなんぞや」と争っていたのが1960年代。今思うと「ええー! これが規制されていたのか!」と思うような表現が「わいせつ」の名のもとに検察官の判断で規制されていたんですヨ。旧憲法下のことではないのだ。表現について規制すると後々たいへん苦労するような気がしますが・・・。