平成22年5月28日(金)  目次へ  前回に戻る

十八世紀のはじめごろ。

湖北・漢陽のひと朱方旦は爾牧と号し、方術を以て有名になった。彼がその術を為すことができたのは、

其妻本狐也。

その妻、もと狐なり。

その妻が、狐(コ)の出身だったからである。

そうである。いつも申し上げておりますが、シナ古典文学の「狐」は、ドウブツの「キツネ」そのものではなく、「狐」といわれる形無き精霊(姿を見せるときにはたいていニンゲンの形をとる)だと思っていただいた方がいいと思います。

その証拠に、彼は

衣襦履襪之属、皆以紅為之。

衣・襦・履・襪の属、みな紅を以てこれを為す。

上着、下着、くつ、くつしたといった身につけるものはすべて紅色で染めていたのである。

わたしどもには即座に了解できないのですが、このころのひとには(着るものが紅)=(妻が狐)という等式が了解できたようです。

彼は方術を以て富貴のひとの間で有名になり、湖州一帯のあちこちに招かれた。

その術の代表的なものは

問禍福、其応如響。

禍福を問うにその応ずること響きの如し。

将来の吉凶を質問されると、音に応ずるこだまのように即座に回答する。

という未来予知の術である。

すべて

其婦出神告之。

その婦の神を出だしてこれに告ぐ。

「彼の妻が不思議な能力を使って彼に教示しているのだ。」

から予知ができるのだ、とみな言うておった。

「だから、当たるのだ。ニンゲンの知恵ではあれほど当たるはずがない」

とも。

また、

以符水済人。

符水を以てひとを済(すく)う。

お札を焼いたものを溶かして聖なる水を作り、これを飲ませて病人を治しもした。

このため、彼のもとには毎日千人ものひとが集まり、その術を乞うた。これらのひとびとは、朱方旦と、表には姿を見せぬその妻を崇め、一種の宗教団体化しつつあったのである。

「それは危険じゃな・・・」

湖州の広域警察の長であった董国興は、朱方旦の行う種々の奇跡のことを聴き、

恐其為変、執而下之獄。

その変を為すを恐れ、執りてこれを獄に下す。

彼が衆を語らって変乱を起こすのではないかと恐れ、捕らえて獄に下したのであった。

いわゆる「予防拘禁」したのである。

そして、どのように処断するか、中央の意見を聴くべく、朱方旦を都・北京に護送することにした。

臨発、送者尚数百人。

発するに臨んで送る者なお数百人なり。

護送されていくときに、彼を慕う者たちがなお数百人集まってきた。

彼は彼らに向かって、

無害。

害無し。

「大丈夫じゃよ。」

と言うたのであったが、信者たちは天を仰ぎ地にまろび伏して罪無くして罰される朱の運命を嘆いたのであった。

北京に行くと、ちょうどそのころの刑部(法務省)は方術を使う者に対しては厳しく対処すべし、という方針であったから、あっという間に

議以妖術惑衆法当斬、出就西市矣。

議するに妖術を以て衆を惑わし法まさに斬に当たり、出でて西市に就けり。

非公開の裁判の末、「妖術を以て人民をたぶらかそうとした罪は、法に照らせば公開で体を真っ二つに斬る刑に当たる」とされ、北京の西市の公開刑場に運ばれたのだった。

執行官がぎらぎらと光る青竜刀を引っさげて一段高く作られた死刑台に立ち、そこに朱方旦が引き出されてきた。

法官がその罪状を読み上げはじめたが、人民は罪状など聞いてはいない。

いつものように

なんだかわからないが、なんて悪いやつだ! はやく殺せ!」

なにも悪いことをしていないかも知れないが、許せないやつだ! どうしてまだ生かしているのだ!」

と叫びを上げ、すみやかに、かつできるだけ罪人が苦しむよう、残虐に刑を行うことを求めた。

「・・・・という罪のゆえにこの者、朱方旦を腰斬の刑に処するものである」

嗜虐の感情を高ぶらせた人民たちの怒号の中で、法官がようやく罪状を最後まで読み上げ、ついに執行官に目配せをして、公開処刑がはじめられようとした、まさにそのとき、・・・・・・・・・・・・・・・・

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以下、次回に続く。

清・王柳南「柳南随筆」巻三より。

 

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