平成22年5月16日(日)  目次へ  前回に戻る

むかしはよかった・・・

宋の時代、福建の福州の町でのこと。

ある晩、城内に火事が起こりました。

火の回りが速く、郡の部将や監司以下、消火に努めるべきひとびとも手をこまねいて見ているしかない状況だった。

為す術も無い郡の役人どもの姿を見て、人民の中からは、

有言何不呼張道人也。

何ぞ張道人を呼ばざるや、と言うあり。

「どうして張道人さまをお呼びして何とか助けていただこうとしないんだ!」という声が聞こえてきた。

張道人さまは元は樵夫だったということですが、福州のひとびとに敬愛されていた仏者で、未来の出来事について予言をするなど、特異な能力があると信じられていたひとである。

郡官は人民の声に対して、

張道人何知鬱攸之事、而須呼之也。

張道人何ぞ鬱攸の事を知らん、これを呼ぶを須いんや。

「鬱」は「水気がもうもうと湧く状態」、「攸」(ユウ)は「爾雅」では「所」の意ですが、「説文」では「水の中を行くこと」をいう。

「張道人さまといえども、水を自由に湧かせたり降らしたりすることができるわけではない。どうしてお呼びすることができようぞ。」

と言い、

「とにかくわれわれのやれることだけはやろうではないか」

と、郡役所の額を取り外すと、これを火の中に投じてみた。

役所の額には霊的な力がある、と思われていたのである。

以従厭勝之説、其烈愈熾。

以て厭勝の説に従うも、その烈やいよいよ熾せり。

これを使えば霊的に災害を抑えることができるのではないかという説に従ったのであったが、炎はさらに激しさを増すばかりであった。

「うひゃあ」

火はついに郡の役所にまで広がった。もうどうしようもない。貴重な行政財産や文書資料がすべて灰燼になってしまうのは必至である。(宮崎の口蹄疫連想した)

ついに府知事が断を下し、張道人をお呼びすることにした。

すると、

「わ、わかりました、だ、だれか、張道人のおられるお寺に使いに・・・」

と郡官が伝令を探している―――そのうちに、道人はいつの間にか郡官たちの前に姿を見せていたのである。

このころ、道人はすでに老齢の上、「祝髪」、すなわち髪を生やして冠もかぶらずにいたので、その風体は一見して特異である。

道人、郡官に向かって長揖(手を胸の前で合わせて、ゆっくりと左右に動かす挨拶のしかた)をすると、

倶面火致敬、同音誦「心火滅凡火滅」六字。

ともに火に面して敬を致し、同音に「心火滅すれば凡火滅す」の六字を誦せよ。

「ごいっしょに、火に向かって慎ましい心になって、「心の火が消えればあらゆる火も消えるなり」という漢字六文字の呪文を唱えてくだされい。」

とおっしゃったのである。

知事以下の官僚たちが頷くと、道人はひょいひょい、と

携瓶水上履層簷、騰踔如飛。

瓶水を携えて層簷を上り履み、騰踔(とうたく)して飛ぶが如し。

水の入った瓶(カメ)を手にして建物の屋上に昇り、舞い上がったり跳んだりして、屋根から屋根へと飛び回った。

飛び回りながら、

大称誦六字。

大いに六字を称誦す。

大音声にてさきほどの六文字の呪文を唱えるのである。

郡の官僚たち、軍卒たち、さらには人民たちもみな合わせて六文字の呪文を唱えた。

心火滅、凡火滅。

心火滅、凡火滅。

心火滅、凡火滅。・・・・・・・・・・・

道人は呪文を唱えながら、瓶の中の水を振りまいた。

決して大きな瓶ではなかったが、その中の水は尽きせぬもののごとく、道人がどれだけ振りまいても無くなることがない。そして、

水所過処、火不復延、須臾遂止。

水の過ぐるところの処、火また延びず、須臾にして遂に止まる。

道人が水を振りまいたところからは、火は延焼することがなく、しばらくすると火勢も衰えはじめ、やがて火は消えたのである。

このため、郡の役所は、一部に焦げた痕があるものの

今尚存。

今なお存す。

いまも残っていて、道人のすぐれた能力の証拠となっている。

この事件は、福州のひとがみな、その目で見たことであった。張道人にはそのほかにも多くの不思議な事跡がある・・・

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のですが、訳者が眠くなってきたので、それはまた時を改めてにいたしましょう。

宋・何子遠「春渚紀聞」巻三より。

むかしはこのような不思議な能力を持ったひとが民間にもたくさんいたのでしょう。今はいないのかなあ。

 

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