平成22年5月10日(月) 目次へ 前回に戻る
今日は福岡時代の知合いであるY氏と焼肉食べて来て苦しいので、簡単に終わります。
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楊州の太守の官邸の庭には杏の花が十数株植えられていて、
毎至爛開、張大宴、一株令一倡倚其傍。
爛開に至るごとに大宴を張り、一株に一倡をしてその傍らに倚(よ)らしむ。
花爛漫の時節となると、大いに宴会を行った。その際、あんずの花一株ごとに側に美しい娼妓を一人づつ寄り添わせた。
花とひと、いずれが美しいか競わせたのである。
この宴会を「争春宴」(はるをあらそうのうたげ)と称し、この中庭に設けられたあずまやは
争春館
と名づけられていたそうな。
開元年間、唐朝の盛んだったころには、宴が終わった後の深夜、酔い覚ましに庭に出るひとがあると、
或聞花有嘆声。
あるいは花に嘆声あるを聞く。
時に花がなやましいため息をついているのを聞くことさえあった。
という。
この宴も天宝の安禄山の乱の勃発以降は絶えてしまい、争春館も荒れ果ててしまったのであった。
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「楊州事迹」という書物に書いてあることだ、と「雲仙散録」(87則)に書いてあった。
花でさえ嘆く声あり。人やあるいはウシ・ブタに怨みの声が無いとでも思っているのだろうか(、A松大臣は)。