3月23日に引き続き、蝶のお話。
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建安の章国老(老人ではない。そういう名前なのである)は宜興の潘氏の女を娶った。
国老は詩文に秀で、気概のある若者であったし、潘氏も詩詞に精しく、琴と書を能くするたおやかな女性で、親戚中でもお似合いの夫婦と評判であった。
が、不幸なことに、潘氏は
既帰国老、不数歳而卒。
既に国老に帰してより、数歳ならずして卒す。
国老のもとに嫁いでより数年ほどで亡くなってしまった。
ところが、その亡くなる日に不思議なことに、
室中飛蝶散満、不知其数。
室中に飛蝶散満し、その数を知らず。
病室には蝶が無数に入ってきて、部屋いっぱいに飛び交った。
国老は悲しみひとかたでなかったが、無数に現われた蝶が気になり、訃報とともに潘家にそのことを伝えたところ、駆けつけた潘家の姉妹たちが言うに、
「おばさまたちから聞いたことがございます。
其始生、亦復如此。
その始めて生ずる、またまたかくの如し。
お姉さまが生まれたときも、やっぱり蝶でお部屋がいっぱいになった、と」
やがて葬儀となり、さらに初七日、二七日と法事を執り行うごとに、
既設霊席、毎展遺像、則一蝶停立、久之而去。
既に霊席を設け、遺像を展ずるごとに、すなわち一蝶の停立して、これを久しくして去るあり。
祭壇を設けて、そこに潘氏の生前の肖像の絵を広げるたびに、一匹の蝶が現われてその前に止まり、しばらくしてから去って行くのであった。
「おくさまの魂が蝶になってお見えになっているのでは・・・」
と問われるたびに、国老はかぶりを振り、
「あれが蝶になったのではありますまい。あれはもともと蝶だった、ということなのだ、と思います」
と悲しいとも懐かしいともつかぬような微かな笑顔で答えたものであった。
国老はひととおりの法要を終えた後、自ら亡くなった妻に「花月神」と謚り名した。蝶は花の香り、月の雫をもたらす神仙だという言い伝えにちなんだのである。
――――このことで思い合わされるのが、同じ建安出身の張伯玉というひとのことである。
張伯玉は、
始生而鬼哭於家、三日而止。
始めて生まるるに家に鬼哭し、三日にして止む。
生まれたとき、家中で精霊たちの泣き声がし、それが三日も続いたのだ。
そして、
既死鬼嘯于梁。
既に死して鬼、梁に嘯く。
亡くなったときには、精霊が家の梁(棟木)の上の屋根裏で長く長く口笛を吹くのが聞こえたのである。
その声は、棺を墓に埋めるまで聞こえていたという。
もともと彼は彼の父母が黎山の閻魔堂に祈って授かった子だった、ということであるから、閻魔の配下の役人(「鬼官」)の生まれ変わりであったのではなかろうか。
実は、章国老も張伯玉もわたくしの親戚に当たるのであり、
得之不誣。
これを得るに誣(し)いず。
これらの話は確かなこととして聞いたのである。でたらめではない。
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だそうです。宋・何不遠「春渚紀聞」巻四より。前半の「花月神」はろまんちっくですね。類話を二三年前に紹介したと思うのだが、探すのめんどくさい。ただしそちらの話では、蝶の化身と見られるのは男であり、あまりにも大量に集った蝶が落ちてその体液で葬儀の日は地面が泥のようになっていた、というキモチ悪い話だった・・・。