平成22年3月25日(木)  目次へ  前回に戻る

呉門の町に潘なにがしというひとがあり、城門の一つ胥門の内側、来遠橋のたもとに、はじめは小さな町屋を構えていた。

この家に、

有老鶴巣于庭樹。

老鶴の庭樹に巣くうあり。

年老いた鶴が中庭の木に巣を作って棲んでいた。

この鶴が、ある日、何かを訴えるように鳴いている。

聞其声、頗類人言。

その声を聞くに、すこぶる人言に類す。

その声をよくよく聞いていると、ニンゲンの言葉によく似ているのである。

主人、耳を澄ませていると、

似言某処有蔵金。

某処に蔵金ありと言うに似たり。

「どこそこにぃ、こがねが隠されていますのぅ」と聴こえるのである。

そこで、主人、鶴の言うとおり、裏庭の隅を掘ってみた。

果得之、自此致富。

果たしてこれを得、これより富を致す。

すると、はたして隠されていた黄金を得たのである。これより潘家は富み栄えることとなった。

十年もしないうちに、潘家は付近の地所を買い取って、大きな屋敷を構えるに至った。

・・・・うまくやったものですね、ぎぎぎぎ(←歯噛みの音)。

ドウブツの言葉を解読して富みを致すのは、古くはソロモン、近くはドリトル先生、我が国では聴き耳頭巾のおやじなど枚挙に暇が無い。いつかおれにも運が向いてきたら・・・

と思っていたところ、

道光壬午(1822)六月―――

潘姓失火、老鶴庭樹亦倶焼死。

潘姓失火し、老鶴庭樹、またともに焼け死す。

潘家は火事を出した。その屋敷は焼け落ち、老いた鶴もその巣くうていた木も、すべて焼けてしまったのであった。

大地の秘密を洩らした報いであったろうか。

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なにかしらさわやかな読後感があるのは、格差社会の上層に上がった者に不幸がもたらされるからか。 ・・・え? さわやかではない?

なににしろ、火の元には注意しましょう。履園主人・銭泳「履園叢話」十四より。

 

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