呉門の町に潘なにがしというひとがあり、城門の一つ胥門の内側、来遠橋のたもとに、はじめは小さな町屋を構えていた。
この家に、
有老鶴巣于庭樹。
老鶴の庭樹に巣くうあり。
年老いた鶴が中庭の木に巣を作って棲んでいた。
この鶴が、ある日、何かを訴えるように鳴いている。
聞其声、頗類人言。
その声を聞くに、すこぶる人言に類す。
その声をよくよく聞いていると、ニンゲンの言葉によく似ているのである。
主人、耳を澄ませていると、
似言某処有蔵金。
某処に蔵金ありと言うに似たり。
「どこそこにぃ、こがねが隠されていますのぅ」と聴こえるのである。
そこで、主人、鶴の言うとおり、裏庭の隅を掘ってみた。
果得之、自此致富。
果たしてこれを得、これより富を致す。
すると、はたして隠されていた黄金を得たのである。これより潘家は富み栄えることとなった。
十年もしないうちに、潘家は付近の地所を買い取って、大きな屋敷を構えるに至った。
・・・・うまくやったものですね、ぎぎぎぎ(←歯噛みの音)。
ドウブツの言葉を解読して富みを致すのは、古くはソロモン、近くはドリトル先生、我が国では聴き耳頭巾のおやじなど枚挙に暇が無い。いつかおれにも運が向いてきたら・・・
と思っていたところ、
道光壬午(1822)六月―――
潘姓失火、老鶴庭樹亦倶焼死。
潘姓失火し、老鶴庭樹、またともに焼け死す。
潘家は火事を出した。その屋敷は焼け落ち、老いた鶴もその巣くうていた木も、すべて焼けてしまったのであった。
大地の秘密を洩らした報いであったろうか。
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なにかしらさわやかな読後感があるのは、格差社会の上層に上がった者に不幸がもたらされるからか。 ・・・え? さわやかではない?
なににしろ、火の元には注意しましょう。履園主人・銭泳「履園叢話」十四より。