巴陵の楊一鵬というひと、進士となって四川・成都の属官として赴任した。
四川の名所・蛾眉山中の寺に詣でたところ、仏像の台座に勝手に座り込んでいる老人がいる。
寺僧が
「万世尊め、また現われおったか」
と追い出そうとしたところ、その老人、楊を見下ろして大笑いし、
汝猶記下地時、行路遠、啼哭数日夜、吾撫其頂而止耶。
なんじ、なお、地に下りし時に「行く路遠し」として啼哭すること数日夜、吾のその頂を撫して止むるを記するや。
「おまえは、地上に降りたときに「先が長いよう」と、何日も昼夜続けて声をあげて啼き続け、わしがおまえの頭を撫でてやっと泣き止んだのを覚えておるかあ?」
と言うた。
「万世尊め、おえらがたの前で今日もそのようなたわけた言葉を呼ばいおって」
と寺僧は怒鳴ったが、
「ああ」
楊一鵬は、感極まって涙を流し、その場によろよろと倒れ伏したのであった。
彼は幼いころ、よく母親から、
「おまえが生まれてすぐのころ、どういうわけか昼も夜も泣きやまず、このままでは泣き疲れて死んでしまうのではないかといわれたのですが、旅の僧侶がやってきて、おまえの頭を撫で、
―――おまえはいずれまたわしと遠い遠いところで会うであろう。そのときまで泣き続けている気か。
とおっしゃっていただいたのです。そうしたら、おまえはぴったりと泣きやんだのよ」
と聴かされていた。
そのことを不意に思い出し、幼いときのこと、今は亡き母のことなど、心に迫ったからである。
「先生・・・! 先生でございましたか!」
楊はその場に跪いて老人に礼拝した。
老人は、
かかかかーーーー
と咽喉仏を見せるような大笑いをすると、
三十年後見汝於淮上。
三十年後に汝を淮上に見ん。
「三十年後に、今度は淮河のほとりで会うことになろうぞ」
と言い残して、
ひょい
と仏坐から飛び降りると、
ひょい
ひょい
ひょい
と一歩の間に二丈も三丈も(一丈=1.8mで計算してみてください。できなことは無い跳躍かも・・・)跳び上がりながら、岩陰へと消えて行ってしまったのであった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それから十五年ほど経ったある日の晩、地方の府令に出世していた楊の官邸の扉に吊るされた太鼓を打つ者がある。
係りの者が扉を開けてみると、背の高いまだ若い僧侶が立っており、
「これを府知事どのにお届けいただきたい」
と一通の書状を差し出した。
書状の表紙には
蛾眉山万世尊寄書(蛾眉山の万世尊が書を寄す)
と書かれている。
「わかりもうした。府知事にお届けするゆえにしばらく待っていて・・・」
と係りの者が書状の表紙から視線を戻したときには、―――もうその僧侶の姿は見えなかった。
その書状になんと書いてあったのかは誰も知らない。
楊はその数年後、流賊が明朝の祖先の陵墓を襲ったときに、守備隊を率いて駆けつけるのが遅れた件の責任を問われて北京の西市で腰斬の刑に処されることになってしまった。しかし、刑の直前まで物静かで平常のごとく振舞っており、刑に臨んで
連呼好師傅者数声而已。
「好師傅」と連呼すること数声なるのみ。
「ありがたい師匠さまじゃ、ありがたい師匠さまじゃ」と何度も呼ばうたのが最後の言葉であった。
楊は、実はわし(←著者の銭牧斎)の進士の同期生であった。三十年後に師に再度会うはずであったのだが、二十年ばかりで死罪になってしまったのである。その後の明末の混乱期に、彼がどんな生き方をしたろうかと思い及ぶごとに残念に思ったものであった。
ところで、万世尊は今も四川の蛾眉山を中心に、
往来人間無常処、人亦時時見之。
人間を往来して常処無く、人、また時々にこれを見る。
世間をあちらこちらと移動して出現し、つねに止まるところは無く、ひとびとは時折に彼の姿を見るという。
もう年齢は百を五十は超えているだろうということだが、最近になって、楊一鵬の息子たちのところに手紙を遣わしてきたそうな。
手紙の中には、万世尊が最近、淮河のほとりで年十歳ばかりの少年と出会い、話をしたこと、この少年が生前の楊一鵬の幼少期をよく覚えているということが書いてあった。
果たして生まれ変わりのような不思議なことがあるものかどうか。楊の次男の楊薦朝が今度会いに行くことになっているので、その結果をよく聞かせてもらおうと思っているところである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
清・銭牧斎「列朝詩集小伝」閏集より。
一般に「特殊記憶」といわれる現象ですが、そんなに不思議なことなのでしょうか。固有名詞はともかく、何か印象的な過去のことを記憶しているひとは多いのでは? ただし、それが前世なのかどうかまで確信は持てません。もしかしたら、単に強い「残留思念」の影響を受けているだけかも知れませんので。あるいはまた、「残留思念」を受けることこそが「転生」ということなのかも知れませんが・・・。(←などと言っているとへんなひとと思われるかも。三日も現世との縁を絶って夢なような日々を送ってきたので、世界の秘密がぼんやりとわかってきたのである。←などと言っているとほんとにへんなひとと思われるかも)