平成22年3月11日(木)  目次へ  前回に戻る

嘉慶己卯年(1819)、八月。

河南・開封一帯の黄河流域で、

有大蟾蜍数千百頭、随小蟾蜍幾十万、自北而南、若遷徙状、人莫知其故。

大蟾蜍数千百頭、小蟾蜍幾十万を随え、北よりして南し、遷徙(せんし)の状のごときも、ひとその故を知るなし。

蟾蜍(せんよ)は「ひきがえる」のことである。

巨大なヒキガエルが数千匹、何十万という小さいヒキガエルを随えて、北から南に移動していくということがあった。まるで国家が移転するかのようであり、ひとびとはその理由がわからずあれこれと噂しあった。

と、十日ほどして、上流の大雨のせいで黄河の水が増水し、ついに開封の近くで決壊、

成巨浸。

巨浸を成す。

大洪水となった。

ひとびとは先のヒキガエルの移動はこのことの予兆であったかと思い当たったが、よくよく思ってみるに、

蟾蜍大者、至四五六尺不等。亦是奇事。

蟾蜍の大なるもの、四五六尺に至るも等しからず。またこれ奇事なり。

ヒキガエルのうち大きいグループは、四尺・五尺・六尺にもなったが、みな大きさが一定でなかった。そのことも不思議なことであった。

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げげげノげ。清・銭泳「履園叢話」十四より。

清代の一尺はだいたい32センチですから、四尺・五尺・六尺はそれぞれ1.3メートル、1.6メートル、1.9メートルになります。いずれにせよ、

「どひゃあ」

というぐらいの大きさです。

梅渓老人におかれては、珍しい話を書きのこしていただいたのはありがたいことです。しかし、この「どひゃあ」と言うぐらいの大きさにではなく、「大きさが一定でなかった」ことの方に不思議を感じる「感覚」、これがかなり不思議な感じがいたします。

 

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