林春秀は世に出ることのなかった文人で、字を子実といい、自ら雲波先生と号した。
性嗜酒耽詩、家貧不能取酒。
性として酒を嗜み詩に耽るも、家貧にして酒を取るあたわず。
好きなものは飲酒と作詩であったが、家が貧しく、酒を得ることができなかった。
それでどうしたかというに、
有友鄭鐸多良醞、日往飲焉。
友・鄭鐸に多く良醞有り、日に往きて飲めり。
友人の鄭鐸の家に良い酒がたくさんあったので、毎日その家に行って飲んでいたのだった。
ところが、春秀は、酒癖が悪く、度を過してしまうと、
酔後、酒狂不可禁。
酔後、酒狂して禁ずべからず。
どうしても酔った後に酒乱となってしまうのだ。
本人は毎回いたく反省するのだが、いつも飲む前には反省していても飲み始めると止まらないのである。
鄭の家人たち、みなこのことを嫌がり、鄭に春秀と断交するように強いた。
そこで、
鄭度其量、造一壷、刻雲波二字、至則飲之。
鄭はその量を度(はか)り、一壷を造りて「雲波」二字を刻み、至ればすなわちこれを飲ましむ。
鄭は春秀の飲み過ぎにならない酒量を調べ、一個の酒壷を作ってこれに「雲波」の二文字を刻んで、春秀が来ればこの壷に酒を入れて、それを限度として飲ませることにした。
以降、
三十年如一日也。
三十年、一日の如きなり。
三十年間、ずっとそのようにして春秀の面倒を見たのである。
林春秀は、詩人としては、夏の日の風物を歌った
壁間写遍籬花影、 壁間に写して遍(あまね)し籬の花影、
雲裏崩来水碓声。 雲裏より崩れ来たる水碓の声。
家の壁面には、一面にまがきの花の影が映っている(自分はその陰にいて凉しいのである)。
雲嶺が崩れる―――その崩落の音かと聴きしは水車小屋の臼の音であった。
の句が名高い。
また、
野老眼経門刻字、 野老の眼は門に刻まるる字を経、
漁郎親見水沈碑。 漁郎は親しく水に沈むの碑を見たり。
いなか老人は古い石門に刻まれた文字を目にした。
湖に漁する若者は水底に沈む石碑を確かに見たのだ。
の句は滅んだ古代王国をうたって近代的ともいうべきロマンチシズムに満ち溢れ、酒乱に隠れようとした彼の繊細な精神性を窺わせるに足るであろう。
明末の戦乱の間に林春秀の消息は知られなくなってしまった。鄭家もすでに代替わりして、「雲波」の二字を刻んだ酒壷のみがむなしく遺されている、という。
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「列朝詩集小伝」より。酒乱の癖にいいともだちがいてよかったですね。