唐・開元年間の照明事情について。
一 饞魚灯(さんぎょとう)
南の海でだけ採れる魚があり、饞魚という。その魚は肉は少ないが脂肪分が多く、南の国のひとびとはこの魚の脂肪を絞って油を作るのである。
この油、
将照紡績機杼、則暗而不明。
まさに紡績し機杼せんとするを照らさせしむれば、すなわち暗にして明らかならず。
これを使って糸を績み布を織る作業の照明にしようとすると、暗くて作業ができない。
生産の場ではダメなのだが、
使照筵宴飲食、則分外光明、時人号為饞魚灯。
筵宴し飲食するを照らさせしむればすなわち分外に光明あり、時人号して饞魚灯と為す。
宴会し、飲み食いするときの照明に使うと信じられないほど明るいのである。ひとびとは当時「饞魚灯」と呼んだ。
消費の場では高い能力を発揮するのである。
「饞」(さん)は「むさぼる」こと。訳者は「五時から灯火」という訳を考えてみた。
二 寧王灯(ねいおうとう)
寧王は音楽と女色がたいへんお好みであった。
あるとき、片目の老人がやってきて、
「王にお使いいただきたいと思いましてな・・・。ひひひひひ・・・」
と不気味に笑いながら、百本の燭を献じて行った。
この燭は
似蠟而膩、似脂而硬。不知何物所造也。
蠟に似て膩(じ)、脂に似て硬。何物の造るところかを知らず。
ロウのようであるがそれにしてはじっとりとあぶらっぽく、動物性の脂のようであるがそれにしては硬すぐる。一体なにから造られているのかわからないのであった。
「まあ、いいや、くれたものなら使おうではないか」
寧王は豪放磊落を以て聞こえるお方、早速夜の宴の場にこの燭を使った。
宴は進み、
賓妓間坐、酒酣作狂。
賓妓間坐して酒酣にして狂を作す。
お客と妓女がしどけなく座り、お酒が回って狂態をさらしはじめる。
すると、
其燭則昏昏然如物所掩。
その燭、すなわち昏々然として物の掩うところの如し。
その燭は、ゆらゆらと照度を落とし、何かに覆われたように暗くなった。
かなりきわどいエッチなことをしてもわからない。
罷則復明矣。
罷(や)むればすなわちまた明らかなり。
エッチなことを止めるとまた明るくなるのだ。
なるほど。これは便利ですね。
莫測其怪也。
その怪を測るなし。
その不思議なこと、たとえようがない。
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五代・王仁裕「開元天宝遺事」上より。高い文明があったのですなあ。