「懊儂歌」(おうのうか)
「儂」(のう)は一人称=わたし。江南方言のイメージがあります。「懊」は「悩む」。ですから、「あたいの悩みうた」というほどの題名でしょうか。
一
糸布湿難縫 糸布は湿りて縫い難く、
令儂十指穿 儂(われ)をして十指に穿たしむ。
黄牛細犢車 黄牛 細犢(さいとく)の車にて
遊戯出孟津 遊戯せんとして孟津に出づ。
糸も布も湿ってるね、お針がうまく動かない
あたい、どの指も刺してしまったのさ
だからもう、黄色い牛に小さな車牽かせてさ、
あたいは明日、みなとに行こうと思うのよ
風よ伝えてよ あのひとに
涙とどまるときがない
二
江陵去揚州 江陵 揚州を去ること
三千三百里 三千三百里
已行一千三 已に行く一千三
所有二千在 所有は二千に在り。
この江陵の町を出て あんたのいる揚州まで
はるか、三千三百里あるってね
だけどもう、あたい、一千三百里まで来たからさ
あんたのとこへ あとほらたったの二千里よ
風よ伝えてよ あのひとに
涙とどまるときがない
三
長檣鉄鹿子 長檣の鉄鹿子
布帆阿那起 布帆は阿那(あだ)と起(あが)りぬ。
詫儂安在間 儂(われ)を詫(た)して安在せしむる間に
一去三千里 一たび去りて三千里。
青空高く帆柱に くろがねづくりの轆轤で
白帆、はたはたと揚げられて風に鳴る
それを見て、あたい、しばらくぼうっとたたずんでいたら
三千里ほど みちのり過ぎてた・・・はずないね
風よ伝えてよ あのひとに
涙とどまるときがない
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よっしゃ、一〜三連まで訳文の音数が一致した。職人芸。大満足。
この歌は、六朝期の「楽府」(唱い歌)のひとつで、遠方にいる思いびとを思って苦しむ女のひとの歌である。どうせ棄てられたのでしょう。ひひひ。
舟に乗ってそのひとのところに行こう、というのだが、そんなふうに女性が自由に旅しうるものではないから全部ウソ、すなわち幻想旅行であろうと推測される。「楽府詩集」より。
ところでこの歌の作者は緑珠と伝えられているのですな。彼女は西晋の時代、石祟という貴族に愛された美妓であり、その運命は悲しく涙無しでは語れない・・・のですが、どうせ彼女の作だということ自体がウソでしょうから気にしないでおきます。