「思い知らさん、虫ぢから」
明の中ごろのことでございます。
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浙江に魏某という若い書生がいた。
この魏生が初夏のある日、所用で隣町に出かけ、馬に騎って宵の山道を帰ってきたときのこと。
隠隠見前途一物如金鏡、奕奕有光。
隠々として前途に一物の金鏡の如き、奕々(えきえき)として光有るを見る。
道の先の方に、一つのモノ――現われたり消えたりする金属の鏡のような大きさの、ぴかぴかと光っているものが見えたのだった。
「奕奕」(エキエキ)というのは「詩経」によく出る古い言い方で、「大きい」とか「美しい」という意味の形容詞である(「物憂い」という意味のときもあるそうです)。
「うげ?」
驚いて立ち止まろうかと逡巡しているうちに、その光るものはこちらに飛んできて、
殆迫馬首、由由然未去也。
ほとんど馬首に迫り、由々然としていまだ去らざるなり。
馬の頭のあたりまで近づき、ゆらゆらと飛び回って去ろうとしないのだ。
「うひゃあ」
魏は怖ろしくなって鞭を振り回した。すると、
ぼこん。
鞭は光るモノに当たったようで、
応手墜地。
手に応じて地に墜つ。
手ごたえがあってそれは地面に墜ちた。
「な、なんだったのだ?」
馬から下りて
視之乃一大蛍耳。
これを視るにすなわち一大蛍のみ。
それをじろじろと観察すると、巨大なホタルであった。
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「いやー、あのときはほんとにびっくりしましたよー」
と魏生は笑顔で話してくれた。
さて。
明初の金退菴(※)の「北征録」によると元の古い都のあたりを過ぎたとき、
有蚊如蜻蜓。
蚊の蜻蜓の如き有り。
トンボほどの大きさの蚊がいた。
そうである。
そこで、わたくし郎瑛の思いますことには、
蛍光如鏡、形雖大未為害也。蚊若蜻蜓、可被其吮乎。
蛍光の鏡の如きは、形は大なりといえどもいまだ害を為さざるなり。蚊の蜻蜓のごときはその吮を被るべけんや。
ホタルの光が鏡のごとく大きかった、といっても特に害があるわけではない。しかし、蚊がトンボぐらいもあるというのでは、それに吸われたらたまったものではありますまい。
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まったく同感です。明・郎仁宝「七修類稿」巻四三より。
なお(※)の金退菴は、名は善、字は幼孜(ようし)、建文年間(1399〜1402)の進士、洪煕元年(1425)に大臣クラスである礼部尚書に至ったひとである。
本日はたいへん寒かったですが、敬愛(笑)する元・上司に白木屋でおごってもらって、少しだけですが、やる気出た・・・かも知れないが、もうなくなった。