平成22年1月12日(火)  目次へ  前回に戻る

「思い知らさん、虫ぢから」

明の中ごろのことでございます。

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浙江に魏某という若い書生がいた。

この魏生が初夏のある日、所用で隣町に出かけ、馬に騎って宵の山道を帰ってきたときのこと。

隠隠見前途一物如金鏡、奕奕有光。

隠々として前途に一物の金鏡の如き、奕々(えきえき)として光有るを見る。

道の先の方に、一つのモノ――現われたり消えたりする金属の鏡のような大きさの、ぴかぴかと光っているものが見えたのだった。

「奕奕」(エキエキ)というのは「詩経」によく出る古い言い方で、「大きい」とか「美しい」という意味の形容詞である(「物憂い」という意味のときもあるそうです)。

「うげ?」

驚いて立ち止まろうかと逡巡しているうちに、その光るものはこちらに飛んできて、

殆迫馬首、由由然未去也。

ほとんど馬首に迫り、由々然としていまだ去らざるなり。

馬の頭のあたりまで近づき、ゆらゆらと飛び回って去ろうとしないのだ。

「うひゃあ」

魏は怖ろしくなって鞭を振り回した。すると、

ぼこん。

鞭は光るモノに当たったようで、

応手墜地。

手に応じて地に墜つ。

手ごたえがあってそれは地面に墜ちた。

「な、なんだったのだ?」

馬から下りて

視之乃一大蛍耳。

これを視るにすなわち一大蛍のみ。

それをじろじろと観察すると、巨大なホタルであった。

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「いやー、あのときはほんとにびっくりしましたよー」

と魏生は笑顔で話してくれた。

さて。

明初の金退菴(※)「北征録」によると元の古い都のあたりを過ぎたとき、

有蚊如蜻蜓。

蚊の蜻蜓の如き有り。

トンボほどの大きさの蚊がいた。

そうである。

そこで、わたくし郎瑛の思いますことには、

蛍光如鏡、形雖大未為害也。蚊若蜻蜓、可被其吮乎。

蛍光の鏡の如きは、形は大なりといえどもいまだ害を為さざるなり。蚊の蜻蜓のごときはその吮を被るべけんや。

ホタルの光が鏡のごとく大きかった、といっても特に害があるわけではない。しかし、蚊がトンボぐらいもあるというのでは、それに吸われたらたまったものではありますまい。

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まったく同感です。明・郎仁宝「七修類稿」巻四三より。

なお(※)金退菴は、名は善、字は幼孜(ようし)、建文年間(1399〜1402)の進士、洪煕元年(1425)に大臣クラスである礼部尚書に至ったひとである。

本日はたいへん寒かったですが、敬愛(笑)する元・上司に白木屋でおごってもらって、少しだけですが、やる気出た・・・かも知れないが、もうなくなった。

 

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