寒いですね。もうすぐ今年も終わります。もしかしたらこの国もそろそろ終わっちゃうのかも。
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という深刻の問題はさておきまして。
元の時代に劉昂という詩人がおりました。このひと、「山雨」という詩を作っていう、
嵩高山下逢秋雨。 嵩高山下に秋雨に逢う。
破傘遮頭水没腰。 破傘は頭を遮って水は腰を没す。
そびえたつ高い山のふもとで、わたしは秋の冷たい雨に降られた。
頭を覆うべき傘は破れており、水たまりにはまって腰まで濡れてしまった。
わたし(←明のひと郎瑛)はここまで読んで驚いた。
上下淋漓。
上下淋漓たり。
上半身も下半身もずぶぬれではないか。
それなのに、詩人は続けて言うのだ、
此景此時誰会得、 この景この時誰か会得せんや、
清如窗下聴芭蕉。 清きこと窗下に芭蕉を聴くが如し。
この情景、この時間の風情を心にすとんと理解してくれるひとがあるだろうか、
清々しいこと、まるで窓の下の芭蕉に落ちる雨音を聴いているようであった。
うーむ。ずぶぬれになっておいて、
清在何処。
清は何処にありや。
清々しいとは・・・一体どこをさして言っているのだろうか?
これは
●耽詩成癖 (詩に耽りて癖を成す。)
といわれる「心の歪み」といいますか、「病い」の一種である。詩を作ることばかり考えているので、本来なら不快な状況でもすべて詩的表現に置き換わってしまうのである。
最近、明の代になってからのことであるが、海塩出身の沈なにがしという詩人が、戦国末の屈原の「離騒」を読んで感動し、
叢蘭芳芷満東皐、 叢蘭と芳芷(し)は東の皐(コウ)に満ち、
閑歩春風読楚騒。 春風に閑歩して楚騒を読む。
群生した蘭や芳しい水草が東の沢にはいっぱいにある。
わしは春風の中、「楚辞」の「離騒」を読みながら、ふらふらと歩いていた。
まで句を作った。
蘭も芷も「離騒」に出てくる植物で、「皐」は「沢」の古い言い方。古風な言葉使いで「離騒」の世界と現実の春風を交感させようという狙いである。
・・・しかし、この後が出てこないのです。四行にしないと絶句になりません。後ろ二句も何とか、紀元前三世紀の「離騒」の世界と今現在の現実の世界を交感させたものにしたいのだが・・・
「むむう」
沈某は
因久思誤墜崖下。
よりて久しく思い、誤ちて崖下に墜つ。
ために思い悩みうろうろするうちに、誤って足を踏み外し、崖から落ちてしまった。
「うひゃあ、助けてくれ」
と助けを求め、それを聞きつけたひとびとに引き上げてもらったが、そのときには、
好也、好也。
好し、好し。
よかったぞ! よかったぞ!
と喜び叫んでいたのであった。
「何がよかったのですか?」
と問うに、沈はにやにやしながら、「できたのじゃ」と言うて、
忽憶霊均発憂憤、 忽ち霊均を憶いて憂憤を発し、
墜崖幾折沈郎腰。 崖に墜ちてほとんど折る沈郎の腰。
そのとき突然に霊均どの(←霊均は屈原の字)の世を嘆く心を思い出していきどおりを覚え、
足を踏み外して崖から落ち、沈くんの腰骨は折れるところであった。
と詩の続きを読み上げたのであった。見事に「離騒」の中の屈原の思いと、現代人の沈某とを交感させたのである。
思うに、この沈なにがしも
耽詩成癖
の病いに冒されていたのだ。
不顧其身、豈非痴乎。
その身を顧ず、あに痴にあらざらんや。
自分の体などどうでもいいというのだ、オロカといわざるを得ないだろう。
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単純に笑い話と考えておけばいいのだろうと思います。「文学至上主義の訴え」とか「社会と相容れぬ深刻な人物像」とか、そういう高度なものは感じられない・・・ですよね。詩も変だし。
明・郎瑛「七修類稿」巻四十八より。