晋のころ、河東に劉白堕という酒造りの名手があった。
白堕は毎年春から酒造りをはじめ、夏の盛りの六月に、
以甕酒曝于日中、経旬、味不動而愈香美、使人久酔。
甕酒を以て日中に曝し、旬を経、味不動にして愈いよ香り美、人をして久しく酔わしむ。
瓶に入れた酒を日光にさらす。十日もすると、味は変わらずに香りはさらに芳醇となり、これを飲めば酔うてなかなか醒めがたい酒となる。
どれほど醒めがたいか。
経月不醒。
月を経るも醒めず。
一月経っても醒めることがなかった。
という。
高位の貴族や官僚たちは争ってこれを求め、知己への贈り物とした。
贈り物の酒瓶が千里の遠くまで馬や驢馬に乗せられて運ばれて行くので、劉白堕の醸した酒を
○鶴觴(かくしょう)・・・鶴のさかずき。ツルは渡り鳥で、千里の遠くまで渡っていくことから、遠くまで運ばれ行く酒をこう称した。
あるいは
○騎驢酒(きろしゅ)・・・驢馬に乗っていく酒、の意。
と呼んだのであった。
永煕のころ(恵帝の年号で290〜291)、青州知事となった毛鴻賓という男は、この劉白堕の酒を買い込んで荷駄を仕立てて任地に赴こうとし、
路逢盗。
路に盗に逢う。
途中、盗賊団の襲撃を受けた。
この盗賊団、奪った荷駄を開くに多量の酒瓶を発見し、
「おお、酒じゃ」
と
飲之皆酔。
これを飲むに皆酔う。
これを飲んでしまい、みな酔うたのである。
一ヶ月の間醒めない酒である。盗賊どもは酔うて身動きもならないまま発見され、一網打尽に捕らえられたのであった。
このことがあってからは、劉の酒は
○擒奸酒(きんかんしゅ)・・・奸を擒る、すなわち悪人を捕まえる酒。
とも称されるようになったのである。
ひとびと、盗賊を働く遊侠たちの心情とて、
不畏張弓抜剣、惟畏白堕春醪。
張弓抜剣を畏れず、ただ畏る、白堕の春醪(しゅんろう)を。
矢をつがえて放つばかりに引き絞った弓、鞘から抜かれて振り下ろされるばかりの剣―――そんなものは恐れはせぬが、
ただ恐ろしきは劉白堕、春に醸したもろみ酒。
と歌い囃したものであった。
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と、北魏の楊衒之が洛陽近辺のエピソード類を記録した「洛陽伽藍記」に書いてありました(宋・竇苹「酒譜・酒之功四」所引)。
三国を平定して束の間の太平を成し遂げた晋帝国でありましたが、この後十年少ししますと七王の乱をきっかけに統一を失い、世は五胡十六国の乱世へと転がり落ちて行くのでございます。楊衒之の時代(五世紀)になってもまだいわゆる南北朝時代、争いは続く。天下太平はいつ訪れるのでありましょうか・・・。