今日はチュウゴク史上最大級の有名人が出るよー!
・・・その大きな屋敷には何か取り込みのことがあるようで、奥の方からは重苦しく、またひそやかに人声が聞こえてくる。
門前に一人の大柄な、背に黒い革の袋を負うた旅びとらしい男が立ち、取次ぎらしい色白の若者――あるいは去勢者であろうか――と話しこんでいた。
取次ぎらしき色白の若者が言う。
「・・・いにしえには偉大な治療者があったと聞きます。
例えば
@ 茅父(ぼうふ)は
以莞為席、以蒭為狗、北面而祝之、発十言耳、諸扶輿而来者皆平復如故。
莞(カン)を以て席と為し、蒭(スウ)を以て狗と為し、北面してこれを祝し、十言を発するのみにして、もろもろの輿に扶して来たれる者、みな平復してもとの如し。
いぐさを材料にしてむしろを作り、その上に座り、まぐさを材料にしてイヌの藁人形を作って、これを北側に置いてその前で呪文を唱え、唱えることわずかに十の呪文のみにして、輿に乗せて運ばれてきた多数の病人たちは、みな平癒してもとのように元気になった。
と申しますが、あなたはそのようなことができるのですか。」
と問われて、門前の大柄な男は言うた。
不能。
あたわず。
「できぬ」
「では、
A 踰跗(ゆふ)は
搦脳髄、爪荒莫、吹区九竅、定脳脱、死者復生。
脳髄を搦め、荒莫に爪し、九竅(きゅうきょう)を吹区し、脳の脱を定むれば、死者また生ず。
(頭蓋骨を開いて)脳髄をつかみとり、(脳髄の下にある)膏膜を爪で引っ掻いて、(そこから)九つの穴に向けて息を吹き込む。その後で、外してあった脳を(頭蓋骨に)納め直せば、死んだ者もまた生き返った。
といわれますが、あなたはそのようなことができるのですか」
「九竅」は目と耳と鼻と口と尿道と穀道(肛門)である。頭から息を吹き込んでやると、この九つの穴から「ぷしゅう」と風が出てきて、詰まりがとれて通じがよくなり、生き返るというのである。
門前の男は、やはりかぶりを振って、
不能。
あたわず。
「できぬ。それよりも・・・早い方がよいのだが・・・」
と答えた。
「ああ・・・。それでは、
B あなたは
以管窺天、以錐刺地。所窺者大、所見者小、所刺者巨、所中者少。
管を以て天を窺い、錐を以て地を刺すか。窺うところの者大、見るところの者小、刺すところの者巨、中るところの者少なり。
管を通じて天空を見たり、錐の先で大地を刺す、という治療をされるのではないですか。天空は大きく、管の穴は小さい。見ることができて当たり前である。大地は巨大で、錐の先は細い。命中して当たり前である。
そのような当たり前の診断と治療をして、子供騙しをなさるのではないか」
門前の男は否定した。
不然。
しからず。
「そんなことはない」
そして、言うに、
「自分は
事故有昧投而中蟁頭、掩目而別白黒者。
故を事として昧投して蟁(ブン)の頭に中し、目を掩いて白黒を別する有る者なり。
こういうことについては、目を閉じてものを投げても蚊の頭に当てることができ、目を覆ったまま白い黒いかを見分けることができるものでござる」
「うむ」
「先ほどお亡くなりなった侯子さまの股の裏側のところに手を差し入れてみてくだされ。まだ温かいのではないか。あるいはおからだに耳をくっつけてよくよく聞いてみてくだされ。なお体内から、かすかに泣き声のようなものが聞こえるのではないか。そうであれば、侯子さまをお救いすることができましょう」
「うむむう」
この屋敷では、先ほど侯爵の太子さまが亡くなったばかりだったのである。
「しばらくお待ちくだされ」
男と話し合っていた取次ぎの者はすぐに中に入って行き、すぐに堂々たる体躯と容貌の壮年の男を連れてきた。
侯爵である。
「さきほど息を引き取ったせがれの様子は先生のおっしゃるとおりでございます。どうぞ先生のお教えを賜り、せがれを助けてくだされませい」
と言うて、自ら桶に湯を汲み、男の足を洗うのであった。(←最大級の敬意を示す行為である)
「わかり申した」
男は急ぎ太子の病室に入ると、
「やはりじゃ。これはまだ助かる」
C と言いまして、
砥鍼礪石、取三陽五輸、為軒光之竈、八減之湯、子同搗薬、子明灸陽、子遊按摩、子儀反神、子越扶形。
鍼を砥ぎ石を礪(と)ぎ、三陽五輸を取り、軒光の竈、八減の湯、子同の搗薬、子明の灸陽、子遊の按摩、子儀の反神、子越の扶形を為す。
うーむ。読むのめんどくさい文章ですねー。
まず、「鍼」は金属、「石」は石製のハリである。
「三陽五輸」につきまして。わたくしは医術に精しくないのでよくわからんのですが、古代の医術書である「素問」を閲するに、
・「三陽」は「手足おのおの三陰三陽あり」とある「三陽」であろう。ハリを用いるべき場所である。
・「五輸」は別のテキストには「五会」とあり、同じく「素問」にいう「五会」、すなわち「百会、胸会、聴会、気会、臑会」のことで、経絡の集まる場所のことであると思われる。あるいは「肝心脾肺腎」の五臓のそれぞれの中に経脈の集まるところがあり、これを「兪」ということから、こちらのことかも知れぬ。
あとはいにしえの治療者たちの伝えた道具・秘術が並べられてあるのである。
このうち「八減の湯」は、「史記」には「子豹の湯」といい、薬を煮るに際して湯を八分に減じて使ったからといい、あるいは特殊な沸かし方をした湯で八たび、患者の身を拭うのである、ともいう。
また「反神」法とは、息を耳から吹き込んで精神を取り戻す方法であるとか何とか。
男は、背負うていた黒い革袋から、金属のハリ、磁石のハリを取り出して磨き研いで、太子の手足のそれぞれの三陽、体の中心にある五会、あわせて17箇所に刺した。
次いで、いにしえの治療者・軒光の用いた特殊な竈で沸かして、八分まで減らした湯を用い、子同の伝えた製法で薬を粉末にし、子明の伝えた灸を据え、子遊の伝えた按摩を行い、子儀の伝えた気づけ法を用い、子越の伝えた身体を一定の形に保つ術を加えた。
於是世子復生。
ここにおいて世子また生く。
しばらくすると、太子は息を吹き返したのであった。
「おお、なんというすぐれた治癒者であろうか」
侯爵涙を流しながら、男の名を問うに、男は
扁鵲。
扁鵲(へんじゃく)と申す。
と言うた。
ひとびとは
「ああ、扁鵲よ、あなたは死者をも生き返らせることができるのだ」
と称賛したが、扁鵲は、
吾不能起死人、直使夫当生者起耳。
われ死人を起こすあたわず、ただにかのまさに生きるべき者を起こさしむるのみ。
「わたしは死人を復活させることはできませぬ。ただ、なお生きることになっている者を生きさせることができるだけでござる。」
と答えたのであった。
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「・・・というのは、「史記」(扁鵲伝)にも「説苑」(弁物篇)にも書いてあるんじゃ。古代の名医・扁鵲伝説の一つですな。Cの扁鵲の治療は難しそうですが、超古代の@やAならできそうな気がしてくるかも知れんが、真似をしてはいかんぞ。特にAはしてはいかんぞ。まあ、おまえらはBのような誰でもできることをすごいことのように言いなして生きていく「知識人」になるのが精一杯であろうが・・・」
と韓嬰先生が言うた。
「それはそれとして、このように、
死者猶可薬、而況生乎。
死者なお薬すべく、いわんや生けるをや。
死んだ者さえ治療することはできるのじゃ。ならば生きている者はなおさら生きさせるのはたやすいはずではないか」
そこで先生はぎろりとわれらを睨みましたので、われらは
「あいー」
と返事だけはいい返事をした。
先生は満足そうに頷くと、
「しかるに、かなしいかな、今の社会はどうじゃ。
無可薬而息也。
薬して息すべき無きなり。
どういう治療法を用いても呼吸し続けさせるのは無理ではないか。
このように必ず滅亡に向かうしかないことを「詩経」では、
不可救薬。
救薬すべからず。
治療して救うすべがない。
というのである。」
「あいー」
とわれらはよくわからんのにわかったような返事をしたものであった。
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「韓詩外伝」巻十より。休みの日なので一回で訳してみた。がんばった。
ちなみに、この「不可救薬」という句は「詩経」の「大雅・板」という詩の中に出てくる言葉である。この詩は周の脂、を一族の凡伯が諌めた詩ということになっておりまして、その後脂、は異民族の攻勢に抗しきれず(伝説では美女・褒似が何たらかんたら)、周王国は一度滅びるのでございます。紀元前九世紀半ばのことでございました。