平成21年 9月 8日(火)  目次へ  前回に戻る

ある家に客があり、午前に来て、昼飯時になっても帰ろうとしない。一方、主人の方も昼飯を出そうなどという気持ちはさらさらない。

たまたま外でニワトリの鳴く声が聞こえた。

客曰く、

昼鶏啼矣。

昼鶏啼けり。

正午の時を告げるニワトリが鳴きましたな。

主人曰く、

此客鶏不准。

これ客鶏、准ならず。

あれはよそさまのニワトリでございます。時間どおりに鳴いているかどうかはわかりません。

客曰く、

我肚飢是准的。

我が肚(はら)の飢えたる、これ准なり。

わたくしの腹の空き具合は、時間どおりなのです。

だからといって主人は昼飯を用意することはなかったという。

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遊戯主人「笑林広記」巻九より。「笑林広記」は笑い話集のはずですが、どこが笑い話なのかわからん。まさかこれでひとが笑ってくれる、と思っていたわけではなかろう。

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何人かの友連れで、二十五日の夜中の北野天神の縁日見物に出かけたのだそうな。

たいへんな人の出で、押しつ押されつして参拝し、夜もほのかに明けるころ、ようやく帰途についた。

そのとき、中のひとりの腰のまわりを見るに、脇差を差していたのだが、その刀身が盗まれたらしく、帯には鞘だけが残っていた。

「おい、これは何としたことぞ」

と言われ、その男、

さやを抜き、ふいて見つたゝいて見つすれどもなし。揚句にいふ事は、「おれなればこそ鞘を取られぬ」。

さやを帯から抜いて、手でぬぐって見、叩いて見た、がやっぱり刀は無い。そこで言うには、

「わしだから何とか鞘までは取られずにすんだのだ」

と。

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これは本朝・安楽庵策伝「醒酔笑」巻二より。こちらは、笑い話にしようと努力したあとは認められる、というレベルまでは来ているであろうか。

 

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