ある家に客があり、午前に来て、昼飯時になっても帰ろうとしない。一方、主人の方も昼飯を出そうなどという気持ちはさらさらない。
たまたま外でニワトリの鳴く声が聞こえた。
客曰く、
昼鶏啼矣。
昼鶏啼けり。
正午の時を告げるニワトリが鳴きましたな。
主人曰く、
此客鶏不准。
これ客鶏、准ならず。
あれはよそさまのニワトリでございます。時間どおりに鳴いているかどうかはわかりません。
客曰く、
我肚飢是准的。
我が肚(はら)の飢えたる、これ准なり。
わたくしの腹の空き具合は、時間どおりなのです。
だからといって主人は昼飯を用意することはなかったという。
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遊戯主人「笑林広記」巻九より。「笑林広記」は笑い話集のはずですが、どこが笑い話なのかわからん。まさかこれでひとが笑ってくれる、と思っていたわけではなかろう。
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何人かの友連れで、二十五日の夜中の北野天神の縁日見物に出かけたのだそうな。
たいへんな人の出で、押しつ押されつして参拝し、夜もほのかに明けるころ、ようやく帰途についた。
そのとき、中のひとりの腰のまわりを見るに、脇差を差していたのだが、その刀身が盗まれたらしく、帯には鞘だけが残っていた。
「おい、これは何としたことぞ」
と言われ、その男、
さやを抜き、ふいて見つたゝいて見つすれどもなし。揚句にいふ事は、「おれなればこそ鞘を取られぬ」。
さやを帯から抜いて、手でぬぐって見、叩いて見た、がやっぱり刀は無い。そこで言うには、
「わしだから何とか鞘までは取られずにすんだのだ」
と。
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これは本朝・安楽庵策伝の「醒酔笑」巻二より。こちらは、笑い話にしようと努力したあとは認められる、というレベルまでは来ているであろうか。