昨日に引き続き駝鳥の食生活を勉強します。
C 明・郭義恭「広志」
安息国貢大雀。雁身駝蹄、蒼色、挙頭高七八尺、張翅丈余、食大麦。
安息国、大雀を貢す。雁身にして駝の蹄、蒼色、頭を挙ぐれば高さ七八尺、翅を張れば丈余、大麦を食う。
アンソク(アルサケス)国が大きな雀を送ってきた。これは身体は雁のようであるが、ラクダの足がついており、色は青黒く、頭を挙げたときの高さは七八尺(一尺=30センチ強)、翼を広げると一丈余(一丈=3メートル強)、大麦を食用とする。
「大麦を食う」ことがわかりました。
なお、
其卵如甕、其名駝鳥。
その卵は甕の如く、その名を駝鳥という。
その卵はカメぐらいの大きさがあり、この鳥の名はダチョウである。
D 元・劉郁「出西使記」
富浪有大鳥、駝蹄、高丈余、食火炭、卵大如升。
富浪に大鳥あり、駝の蹄、高さ丈余、火炭を食い、卵大いなること升の如し。
プーラン国に大いなる鳥あり。ラクダの足をして高さは一丈余(一丈=3メートル強)、火のついた炭を食う。タマゴは一升(元代の一升=1リットル弱)の枡ぐらいの大きさがある。
「火炭を食う」そうです。
E 宋・彭乗「墨客揮犀」
骨托禽出河州、状如G、高三尺余、其名自呼。能食鉄石。
骨托禽は河州に出づ、状はG(チョウ)の如く、高さは三尺余、その名は自から呼ぶなり。よく鉄石を食う。
コツタクキンという鳥は華北の河州に産する。すがたは鷲のようで、背の丈は三尺余、その鳴き声(コッタク)をとって名づけたのである。鉄・石を食うことができる。
チュウゴク内地産のこの鳥が駝鳥であるかどうかちょっと怪しいですが、これは「金属・鉱物を食う」。
F 明・鄭暁「吾学篇」
洪武初、三仏斉国貢火鶏、大于鶴、長三四尺、頸、足亦似鶴、鋭嘴軟紅冠、毛色如青羊、足二指、利爪、能傷人腹致死。
洪武の初め、三仏斉国、火鶏を貢ぐに、鶴よりも大にして長三四尺、頸・足また鶴に似、鋭嘴・軟紅冠にして毛色は青羊のごとく、足二指、利爪にしてよくひとの腹を傷つけて死に致らしむ。
洪武年間(1368〜98)のはじめごろ、シュリービジャヤ国が「火鶏」を贈ってきた。これは鶴よりも大きく、体長三〜四尺で、首や足は鶴に似て長く、鋭いくちばしと軟らかい赤いとさかを持つ。毛の様子は青い羊毛のようであり、足は(ブタような)双蹄で、研ぎ澄まされたツメがあり、これでひとの腹部などを引っ掛けられると内臓が飛び出して死に至ることがある。
食火炭。
火炭を食う。
火のついた炭を食う。
これは「火炭を食う」です。
以上を統計的に並べてみると(←笑)
金属・鉱物 火・火炭 草・肉(ジンニク、大麦含む)
@ ○ ×
A ○
B ○ ○
C ○
D ○
E ○
F ○
E・Fがちょっとあやしいといえばあやしいですが、統計的(←笑)には駝鳥はやっぱり火を食いそうである。あるいは時系列で整理をすると、駝鳥の進化過程が明かになるのかも知れぬ・・・。
―――と、まあ、こんなことを調べて並べてみたとて、虚しいという以外に言い様の無い所為なのだが・・・。