陝西の静寧州の市場に、どこかから白いひげの道士さまが来られ、露天の店を出されました。
道士さまのお名前、ご出身地、ご年齢などは皆目わかりません。
道士さまのお店は、御座の上に道士さまがお座りになっていて、一寸ばかりの大きさの小さな瓢箪を手にしておられる、それだけのお店なのです。この道士さまが、何月何日からここに店を開いていたかは、市場の誰にも定かな記憶が無いというのですから、それも不思議なことではありますね。
いずれにしても道士さまがお店を出されてから何日かしてから、誰かが
「あんたは一体何を売っておられるのかね」
と訊ねてみますと、道士さまはにこりと微笑まれて、
「おまえには売れぬなあ」
とおっしゃるのです。
「変な道士さまじゃなあ」
とみな噂していると、その次の日、たいへん重い病気にかかっている老婆が、道士さまに、
「道士さま、何も売ってもらわねえでええで、これを恵んでやるだ」
と一枚の銭を差し出した。
すると道士さま、にこりと微笑まれて、
「ああ、おまえさんには売ってやらねばならぬなあ」
とおっしゃり、瓢箪を傾けてこれに近くの土を入れました。
一寸ほどの瓢箪だというのに、
得土数升。
土を得ること数升なり。
何リットルもの土がその中に入って行った。
と申します。
「これぐらいでええかな」
道士さまは自分の指で瓢箪に蓋をして、二度、三度と瓢箪を振り、
「はい、できあがり」
と瓢箪の中身を同場の手の平の上に落とします・・・
と、
成金丹。
金丹と成る。
黄金色の丸薬となっていた。
道士さまの勧めるままにその丸薬を呑みこみますと、老婆の病はたちどころに軽癒した。
道士さまはさらに瓢箪を振って、もう二粒の金丹を落とすと、
「これを持ち帰って、今晩と明日の朝飲みなされ。そうすれば病はまったく癒えるであろう」
と告げたのであった。
「おお」
ひとびとはその様子を見ておった。そして、その日から、多くのひとが彼のもとにこの金丹を求めに来るようになったのである。
道士さまは病気に罹っているかどうかが外見から見抜けるらしく、病に罹っていないものはどれだけ病人のふりをしても金丹を売ってもらうことはできなかった。病気に罹っている者は、一銭でも二銭でも手持ちに応じてお金を出せば、金丹を三粒づつ、いただけるのである。
それでも数日後には、あまりにも多くの病人が群れをなして道士のもとに薬を求めに来て、道士さまが呼びかけてもきちんと並ぼうとしなかったときは、道士はついに癇癪を起こし、
「みなそのままにしておれ!」
と言うと、瓢箪を持ち上げて高々と掲げ、その瓢箪を撫でるように、
以麈尾一揮、人人袂間各得三粒。
麈尾を以て一揮するに、人人、袂の間におのおの三粒を得たり。
払子を一振りしたところ、ひとびとの服のたもとに、それぞれ三粒づつ、金丹が入っていた。
のでありました。
さらにひとが増えてくると、さらにめんどくさくなってきたらしく、ある日、ついに自分は御座の上に寝転んで、瓢箪をその前に置き、ひとびとを一列に並ばせて、
任人自取。
ひとの自ら取るに任す。
ひとびとに自分で瓢箪から丹を取らせた。
この場合も、病人で無いものは、いくら瓢箪を振っても出てこない。しばらく振っていると、道士が
「はい、残念でした」
と言うて次のひとに替わらせるのである。
例外があって、父母の病のために薬を取りに来た孝子の場合には、不思議と瓢箪から丹薬が出てくるのであった。
ただ、そういう場合でも、
極力多攫、止得三粒。
力をきわめて多攫せんとすれども、三粒を得るに止まる。
どんなに力をこめてたくさんの丹薬を取ろうとしても、どうやっても三粒しか出てこないのであった。
その日は数百人のひとが薬を得たのに、小さな瓢箪は空っぽになることがなく、丸薬を出し続けたのだった。
・・・何日か経つと付近には病人がなくなり、道士さまのお店に並ぶ者もいなくなった。
すると、
不知所之。
之(ゆ)くところを知らず。
道士さまはどこかに行ってしまい、行方は知れませぬ。
市場のひとたちはみな、道士さまがいなくなったあとで、何月何日までおられたか、思い出そうとしてもどうしても思い出せなかったといいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「池北偶談」巻二十三より。十七世紀の終わりごろになってもこんなファンタジーをおもしろがっていたかと思うと、東洋の後輩として情ない。ではありませんか。
なお、「麈」(しゅ)は鹿の大きなものである。これは鹿の群れのリーダーとなり、群鹿はこの「麈」の尾の向きを見て移動するのだという・・・ことは半年か一年ぐらい前にどこかでご紹介したと記憶するが、どこでしたか忘れた。まあ、そういうフサフサした払子のことです。