5月18日の続きである。悟元道士「通関文」より。
・・・ということでわしはらくちんに下っていく道を選んだのです。
しばらく降りていくと、当然のように土塁の基礎にぶち当たり、そこで行き止まりのようである。土塁は基部からは六〜七メートルはあろうか。よく搗き固められていて、よじ登れそうなよすがはない。
関門はその土塁の向こうに、見上げるほど大きく聳えているのだ。ここまで近づいても(こちらが下に下がったこともあるのであろう)、高いところに懸けられた題額は読めぬ。
「うーん、やっぱりそうですよね、楽をすればすぐ行き詰るのですなあ」
と腕組みしていると、背後より老人が言う、
既入道門、不知所為何事。
既に道門に入り、何事か為すところを知らざるか。
「おまえさんは、タオの教えに志しておいて、どうすればいいのかわからないのかな」
「へ、へい」
とわしは卑屈に頷いた。
老人はそれを聞いて、「ふひょひょ」という笑い声とともに、
「これこれ、
常在衣食上打算、日在是非中出入、狐朋狗党、口説雑話、心思雑事、眼不看祖師法言、耳不聴明人好話。
常に衣食上にありて打算し、日に是非中にありて出入し、狐朋や狗党と口に雑話を説き、心に雑事を思い、眼に祖師の法言を看ず、耳に明人の好話を聴かず。
いつも着るものや食べるもののことばかり考え、毎日、わしが正しい・あいつが間違っているとい言い合って活動し、キツネのような友だちやイヌのような仲間と、口にはくだらぬ話を説き、心にはくだらぬことを思い、目にはいにしえの賢者たちのありがたい文を読まず、耳には知者たちのよき言葉を聞かぬ。
そのようなひとにとっては、
経典を読んでも
走馬看花
走る馬の上から花を見るようなもの
じゃ。心を用いるといえども深い意義までは探り得まい。
良師に出会ったとしても
秋風過耳
秋風が耳を過ぎていくようなもの
じゃ。努力するといえども深い味わいまで知ることはできまい。
そんなふうでよいのかのう・・・」
と言うのである。
「ではどうすればよいとおっしゃるのか・・・」
と、わしが土塁の前で、わしのもといたあたりにいるはずの老人の方を振り向くと、
おお!
老人は、ふわりふわり、と宙に浮き上がっていたのであった。
「や、や、や・・・」
「ふほほ、いったい何を見ておるのじゃ? わしが飛んでいるように見えるのか、それとも地面が下がったように見えるのか?迷うなかれ、迷うなかれ。
今日求王、明日拝李、忽然学此、忽然学彼、主意不定、志念不長、何嘗以性命為大事。
今日は王に求め、明日には李を拝し、忽然として此れを学び、忽然として彼を学び、主意定まらず、志念長ぜず、何ぞかつて性命を以て大事と為すか。
今日は王という師匠に教えを求めたかと思うと、明日は李という師匠に拝礼している、そんなことでよいのか。突然このことを学んだかと思うと、突然にあのことを学びだす。主たる思いがどこにあるかわからず、志に向かって進んでいくこともできぬ。それでは、どうやって本当の命のことで大きな仕事をしおおせることができようか。
あちらに行ったりこちらに行ったり、では何事も為せぬぞ。歩みを止めることはあってもよいが、自分が進んだ方向から外れてはならんのじゃ。」
「と、いうことは、この方向へ更に行け、と・・・」
わしは老人の言うままに、さらに前進して土塁の基礎にぶちあたってみた。道は、そこから土塁に沿って左に向かっている。
「こちらへ行ってみますよ」
と左手に進むと、やがて行き止った。
しかし、そこで右手を見ると、土塁に一メートルほどの切れ間があり、関門の方に向けて通り抜けられることがわかった。
「なるほど、ここは通り抜けられるのですな。しかし、ここを通って関門の方に行っても、あのでかい関門の基礎の立っている地面よりも更に下に着くのだ。門に下まで行けるだけで、通り抜けられるわけがないではないか」
とぶつくさ言いますと、遥か彼方で誰が鳴らすのか、
じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・
とドラの音が聞こえ、土塁の上の方から老人の声がした。
吾勧真心学道者、速将懸虚関口打通、死心踏地、日日在性命上留心、時時在理義上着意、把一切懸虚不実行為、一一改過。
吾は勧む、真心の学道者よ、速やかに「懸虚関」口を打通し、心を死なせて地を踏み、日日に性命上にありて心を留め、時時に理義上にありて意を着し、一切懸虚の不実の行為を把りて一一改過せよ。
「わしは、おまえたち真心からタオを学ぼうとするものたちに勧める。速やかにこの「懸虚関」を通り過ぎて行け。不安な心を落ち着かせ、地面をきちんと踏めば、通り過ぎることができるであろう。日々に本当の命のことを考え、いつも本当の意味のことを思い、上から吊り下げられてて虚空に浮かんでいるだけの実の無い行動について、すべて過ちであったと認め、改めるがよい」
「は、はあ・・・。「コクウカン」ですか・・・」
わしは老人の言葉を確かめつつ、
「不安な心を落ち着かせ、地面をきちんと踏めばいい、のですな・・・」
と土塁の切れ目に歩を進め、そこを通り抜けて関門の側に出た。
巨大な関門を見上げる・・・
「あ」
わしは驚いて声を出してしまった。
関門が浮いている!
この巨大な関門は、上の屋根の方で左右の峰にはさまれて固体され、宙から吊り下げられているだけで、地面に立っていなかったのだ。一段低くなった地面と、関門の柱や扉や壁との間には立って人が通れるぐらいの隙間が開いているのである。
「なんと、こんな仕組みだったのか・・・」
おりしも題額にかかっていた靄のようなものが晴れて、文字が読めた。
老人のいうとおり、そこには
懸虚関
と書かれてあった。
「肝冷斎よ」
老人の声が、はるか頭の上の方で聞こえた。いつのまにか老人は宙を飛んで、はるか関門の題額のあたりに浮んでいたのだ。
「この世にはこのように虚空に懸かっているばかりで実際の地面を踏まえていないものがたくさんある。おまえはそれにだまされてはいけない。虚空にかけられているものは、恐れる必要の無いものである。そして同時に、それを誇ることもできないものなのだ。
懸虚不実、行事荒唐、虚度年華、心不専、志不致、妄想明道難矣。
懸虚実ならず、行事荒唐、虚しく年華を度(わた)りて心専ぱらならず、志致さざれば、妄想して道を明かにするは難いかな。
虚空にぶらさがっているだけで、実際の地面に立っておらず、やることはいい加減でむなしく日々を過し、心に一途に思うことなく、志をやりとげない。そんなことでは妄りに思うばかりてタオを明かにすることは難しいであろう。
さあ、通り抜けて行け」
土塁の切れ目を通ってきた地面をそのまま進むと、関門の下を通り抜けることができました。
通り過ぎて振り返ると、この関門も大きいばかりで、裏から見るとハリボテであった。
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やっと「懸虚関」を通り過ぎることができました。ムリして登り道を登らなくてよかったです。楽して得した感あり。
「さて先に行くか・・・」
と進みかけて、わしは
「おお」
と声を出してしまった。
次の関門はすでに彼方に巨大な黒々とした姿を見せつつある。大きい。これまでのどの関門より大きいのだ・・・。