てらてら。
何とか一週間を終えて帰宅してきましたところ、今日は時空を超えて以下のような報告があったので、転載しておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうも、ご無沙汰しております。
この間、わし(←肝冷斎にあらず、茝隣(し・りん)先生である)は西湖のほとりを散策しておりまして、湖畔に以前から知ってはおりましたがいまだ訪れたことの無かった萬峰山房というお寺があることを思い出しましてな。大した寄り道でも無いのでここを覗いてみた。
取り立ててご報告するようなことは他に無かったが、寺内に釈迦入滅図を飾る涅槃塔があり、その入り口に一聯が掲げてあった。
老屋将傾、只管淹留何日去。
新居未卜、不妨小住幾時来。
老屋まさに傾かんとするに、只管(しかん)に淹留して何れの日に去るや。
新居いまだ卜せざれば、小住を妨げざるも、幾時に来れるか。
この塔の二階には小顛(「ちょっと変」)と呼ばれる僧侶が住んでおり、彼が掲げた聯である、という。
古びた建物はそろそろ傾いてきているのに、ひたすらここに住み続けて、おまえはいつになったら出ていくつもりなのかね。
新しい住居がまだ決まっていないのなら、しばらくここに住んでもよいが、ところでおまえはいつこちらに来たのだっけ。
しばらくその前を行き来して考えてみた。
そしてわしは「ふむ」と合点して頷いた。
ここに住んで出ていかない、いつここに来たのかもわからない、のは、この塔に転がりこんでいる小顛のことではないことに気づかねばならない。
小顛は、この塔から出ていきたくなったら出ていくだけのことだ。
いつここに来たのかも出ていく日もわからないでいるのは、わしらだ。そして、古びて傾いてきた「ここ」は現世だ。そうすると、「新しい住居」とは何か、すぐわかる・・・。
「なるほどな。そうであれば教えてもらうか・・・」
わしは、小顛に、わしがどこからここへ来て、いつ、どんな住居に移っていくことになるのか、教えてもらおうかと思って、二階に向かって上っていくはしごの下で、
「たのもう」
と呼んでみたが、上からは
「あるじは留守でござる」
という声が聞こえて、はしごは引き上げられてしまった。
わしは、さもありなん、と苦笑しながら帰ってきましたよ。ではまた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
という、これは清末の文人・茝隣先生・梁章矩の報告です(「楹聯叢話」巻十二より)。(←初出ではないと思うがいつごろ出てきた忘れた)
「茝」(シ)という字はあまり見慣れない字かも知れませんが、「よろいぐさ」という香り草のことで、「広雅」にいう、
天子祭以鬯、諸侯以薫、卿大夫以茝蘭、士以蕭、庶人以艾。
天子は祭るに鬯(ちょう)を以てし、諸侯は薫(くん)を以てし、卿大夫は茝蘭(しらん)を以てし、士は蕭(しょう)を以てし、庶人は艾(がい)を以てす。
先祖の魂祭りの際、地面に香り草を混ぜたお酒を撒いて神霊をお呼びするが、この香り草として使うのは、君主の場合は「鬯」、大名の場合は「薫」、家老・重臣は「よろい草」、士分のものは「蕭」、一般人民は「よもぎ草」である。
という、由緒正しい草である。「茝」は「蘭」と同じく、目立たないところにあっても花を咲かせるということで、君子(道徳的に立派なひと)の喩えにもなるので、梁先生はその「茝」だ、というのではなく、その「茝」の隣にいる、というのだから、これはなかなか奥床しい自号である。