「ニンゲンはいやですなあ」「まったくじゃニャ」「にゃんばんは」
やっと金曜日。一週間、こんなに不安と恐怖ばかりでどうやって生きてきたのでしょうねえ。と感心しますわ。何一つ生み出していない、のに・・・。
・・・閑話休題。昨日の続きである(清・李酔茶「酔茶志怪」巻一「張興」)。
「びっくりして声を出すのではないぞ。ひひひ」
と友人の王菜に言われながら、その後につき従った中山の張興、屋外に出るとちょうど東の空が白みかけていたところである。
王はすたすたと門のところまで行き、そこで突然、張の腕を摑み、
胆怯時勿悔。
胆怯むの時に悔いるなかれ。
キモを冷やしてびびったときになって、後悔するんじゃないぞ。
と言うや、突然足を速めた。
至閾而躓、曳起同行、張覚身軽如葉。
閾に至りて躓けば、曳き起こして同行するに、張、身の軽きこと葉の如きなるを覚ゆ。
閾のところで躓いた(これは、閾のところが結界になっていた、ということの暗示であろうか)が、王に腕を引っ張られて連れて行かれると、張はいつのまにか自分の体が木の葉のように軽くなっているのに気づいた。
王に引っ張られたまま空中に舞い上がり、やがて立派な門のある役所のようなところが見えてくると、その門前にふわふわと舞い降りていく。
門には題額がかかっているのだが、文字のところに煙のようなものが掛かっており、何と書いてあるのか読めない。
ちょうど地面に足がつきそうなところまで降りたとき、王が耳元で
「おい、踏むなよ」
と囁くので、足元を見た。
確かに何か固まりになったものを踏みそうになったので、それを避けて着地し、よくよくそのあたりの地面を見てみると、
地上密排利刃、矗立如筍、貫胸破腹者枕藉其上。
地上密に利刃を排し、矗立(ちくりつ)すること筍の如く、胸を貫き腹を破らるる者その上に枕藉す。
地上には、びっしりと、研ぎすまされた刃が並び立ち、まるでタケノコのように生えているのだ。その上には、胸を貫かれ、腹を破られた者たちが、ごろごろと、(その刃の上に)頭や胴体を置いて、ころがっているのだ。
さっき踏みそうになったのは、胴体から切り離された腕であった。
張は怖れて叫びそうになったが、その口を王が袖で塞いだので声にはならなかった。
張はその格好のままで王に引っ張られて、刃のタケノコを避けながら門に至り、脇のくぐり戸から中庭に入る。
広い中庭の奥には、巨大な政堂がある。王は張を引っ張って、その堂の前の方に進んだ。
「おお、もうみな集ってきておるな」
そこには王の同僚らしき者たちが多数立ち並んでいたが、みな鎧と兜を装備し、斧や鉞、大鎚などの武器を引っさげている。
張惶恐、幾不能歩、乃雑衆中、立殿簷下。
張、惶恐し、ほとんど歩むあたわざるも、すなわち衆中に雑わりて殿の簷下に立つ。
張は恐怖してほとんど歩くこともできないほどであったが、王に引きずられてその武官らに混じって、堂の縁の下に立ち並んだ。
暫くすると、堂の中で太鼓の音がしはじめた。
やがてその音は雷鳴のごとく激しく轟き出し、その音とともに奥の方から王者のように厳かに着飾ったひとが出てきて、堂上の椅子に座し、みなを見下ろした。そっと覗き見るに、そのひと、通常のひとの二倍もあろうほどに大きい。
中庭に立ち並ぶ武官らは、そのひとが席に着くと同時に深々と敬礼をする。
続いて、
一吏虎首人身、奔上跪献方策。
一吏の虎首人身なる、奔りて上り跪きて方策を献ず。
アタマがトラの事務官らしきのが、すすすー、と堂の上に小走りに登り、大きなひとの前で跪いて、四角い書状を差し出した。
それから、そのトラ頭の事務官は堂から下りてきて、
「入らしめよー」
と門の方に向かって呼ばう。
「了せりー」
と答えがあって、ぎぎぎ、と門が開く。
門の外からは、このとき、大地を震わせるかのように人間のうめき声が響いてきた。そして、ぞろぞろと
断頭裂臂者一擁而入。
断頭し裂臂せる者、一擁にして入れり。
首のとれた者、腕のとれた者など、ひとかたまりになって入ってきたのであった。
彼らは、さきほどタケノコのように生えた刃に貫かれていた者たちであろう。ふらふらと歩いてきて(足の無いものは這っていた)、武官たちが左右に分かれた間に並ばされた。
トラ頭の事務官がその人数を数えていく。ほとんど真っ二つに切られた者がいて、それが一体か二体か、確かめねばならないような例もあった。
やがて数え終わって、トラ頭は大きなひとに数を報告する。
大きなひとは、トラ頭から先ほど受け取った四角い書状を見ていたが、その報告を聴いて、
人数尚少若干、何便持簿来。
人数なお少なきこと若干なり、なんぞすなわち簿を持ち来るか!
まだ若干人が足らないではないか! それなのにどうして帳簿を持って来たのか!
と怒鳴った。
その怒声の殷々たる、雷鳴の比でさえ無いほどである。そして、
棄簿于地、起立退屏後。
簿を地に棄て、起立して屏後に退く。
帳簿を地面に投げ捨てると、座から立ち上がって、堂内の屏風の後ろに消えていった。
同時に頭や腕を失った亡者たちはするすると地面に吸い込まれて行き、そのまわりの武官らは
于是万声号呼、乱如鼎沸。
是において万声号呼し、乱るること鼎の沸くが如し。
突然、みな「おうおう」と叫び呼ばいはじめ、あちらへこちらへと動き回り、その場はまるでナベの中が沸き立ったような騒ぎになった。
何が起こっているのか訳も分からぬ張の耳に、
「さて、それでは、わしも行かねばならんな」
という王の声が聞こえたので、張はかたわらにいた王の方を見る。
すると王はにやりと笑い、
「また会おう」
と言うて張を「どん」と突き飛ばすと、さっとつむじ風のように走り去ってしまったのであった。
張は覚えず、
「お、おい、わしを置いていくのか!」
と叫ぶに、それで気がついたのか、
「なんだ、こいつ、こんなところで何をしておるか!」
傍一甲士以槌力撻其背。
傍らの一甲士、鎚を以てその背を力撻(りきたつ)せり。
そばにいた武装兵士のひとりが、手にしていた鎚を振り上げて、張の背中を力いっぱい撃ちつけた。
うぎゃあ!
背骨が折れた――――!
・・・・・・・と。
思った瞬間。
目が覚めた。
回りを見て、回りのひとたちが驚いたように自分を覗き込んでいるのを見た・・・。
張は、
蘇。蓋死去已二日矣。
蘇(よみがえ)れり。蓋し死去してすでに二日なり。
生き返ったのであった。このとき、死んでからもう二日経っていたということであった。
さて、この時期は、
馬賊往来于其処、動傷村人。
馬賊そのところに往来し、やや村人を傷む。
馬賊が中山地方に出没して、あちこちに村人が殺されていた時期であった。
さらに、
次年、遂有捻逆之変、人死如麻。
次年、ついに捻逆の変ありて、ひとの死すること麻の如し。
翌年、とうとう捻軍の反乱が起こって、あちこちでニンゲンが数え切れないくらい死んだ。
そのことを聞いて、張興は、あの大きなひとが「まだ人数が足りない」と言うて指示したのはこのことであったか、と思い至ったのであった。
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「捻逆」とは、「捻匪」「捻軍」といわれる咸豊(1851〜61)に華北を中心に起こった農民反乱のことである。
もと山東地方では縁日などに
捻紙、然脂。
紙を捻りて脂を然(も)やす。
紙でこよりを作って、これを脂につけて火を灯す。
風習があり、その前で神に奉納する戯曲等の催しを行っていた(「清史稿・曾国藩伝」)のであったが、彼らが徒党を組んで、山東・江蘇・安徽で反乱を起こしたのが「捻匪」であり、南方の洪秀全らの「太平天国」とも結んで華北地方を荒らしまわったのである。太平天国を平定した曾国藩が鎮圧に努めたが、最後に彼らを平定した(そしてその残軍を自らの配下に編入した)のは北洋軍閥の李鴻章であった。
この捻匪のうち「西捻」といわれたグループが、山西から陝西までを劫略したので、中山の張興が聞いたのはこのグループであろう。
まあ、たくさん殺されても何か決まっている方針のためらしいから、しようがない、ということですかね。
おしまい。