↓にょろろん。
坊主憎けりゃ仏教まで憎い、という世の中でございます。僧は檀家システムの中で稼ぐための「職業」に堕してしまったゆえ、その唱える仏教そのものまで疑わしい。ということなのです。だから今日も昨日の続きで坊主の悪口です。
その2
山西・五台山の僧侶・誠慧はその弟士たちから「降龍大師」と呼ばれていた。
何故というに、山西の鎮州の町には南側の城壁の外にも市街があり、これは「南城」と呼ばれていたのだが、あるとき、どのようなことであったか、誠慧はこの南城の一富豪に憤りを持つことがあり、
彼無信心、吾使一小龍警之。
彼信心無し、吾一小龍をしてこれを警(いまし)めしめん。
あの男には信心が無い。わしは小さい龍を一匹遣わしてあいつを懲らしめてやるぞ。
と言うた。
彼は、以前から、
自言能役使毒龍。
自ら、よく毒龍を役使す、と言う。
自分で「わしは毒を持つ龍を使いにしているのじゃ」と言っていた。
から、聞いたひとはその毒龍が何かを仕出かすのであろうと思っていたところ、その年の夏、
鎮州大水、壊其南城。
鎮州に大水ありてその南城を壊す。
鎮州は大洪水に見舞われ、城壁外の「南城」が流されてしまったのであった。
何千という人命が失われ、かの富豪も一命は取りとめたものの、多くの財産を失った。
これ以降、崇拝者たちは、誠慧のことを「天から雨龍を降す力のある僧」の意で「降龍大師」とお呼びするようになったのである。
大師は、五代・後唐の同光年間(923〜926。昨日の天成年間の一つ前の年号である)、後唐の首都・開封にやってきた。
権貴皆拝之。
権貴みなこれを拝す。
権力の回りにいるひと、身分の高いひと、彼らはみなこの方を拝み尊んだ。
大師がお見えになったのは、都周辺は長く日照りに苦しんでいたので、カシコきところからの勅命にて、
祈雨。
雨を祈る。
雨乞いをさせようというのであった。
龍を降して市街地を滅ぼしてしまった法力の持ち主であられる。みな大いにに期待した。大師もたいへん自信に満ち溢れているようであった。
しかし、
数旬無徴応。
数旬するも徴応無し。
数十日経っても、何の効き目も無かった。
やがて、都人士の間で、「降龍大師さまを
或以焚燎為聞、懼而潜去。
或いは焚燎(ふんりょう)を以て聞を為すに、懼れて潜かに去れり。
どうやら火あぶりにして天の神に捧げることになるらしい」という噂が流れたのを聞くと、大師は恐れて夜逃げしてしまった。
その後、いつの間にか五台山中に戻っていたが、いくばくもなく死んだ。
ただ、五台山に戻ってから、弟士たちが「大師は都で祈雨に成功した」と言いふらしていたため、死後、
建塔号法雨大師。
塔を建てて「法雨大師」と号す。
誠慧の記念碑が建てられ、そこには「法雨大師」という尊称が刻まれた。
このため山西地方には、いまだに彼には本当に法力があったと思っているひとがいる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何其謬也。
何ぞそれ、謬(あやま)れるや。
何と間違ったことであろうか。
と嘆いているのは、昨日に引き続き、五代・孫孟文である(「北夢瑣言」(巻十九)による)。
こんなところに書いたところで何の解決にならないので、さらりと著者の日常を書いておきます。→圧の強まりと睡眠不足はいけません。症状現われてきたです。症状が長続きしないように職場の方々が圧を弱めてくれるといいのですが・・・。