今週は疲れたです。なんとか金曜日までこぎつけましたなあ。週末ですから、生きる力を沸き立たせたいものですなあ。
よし。それでは。生きる力の強くなりそうなお話をしてみます。
唐の玄宗皇帝のときのこと。
燕(現在のペキン周辺)の節度使・安禄山が都の長安に入朝してまいりました。
後に大乱を起こす安禄山ですが、このころは皇帝と楊貴妃におもねり、へつらい仕えていた。このときも大量の宝物類を燕の地から運び込み、皇帝。貴妃に献上した。その他の要路の方々にもそれ相応にお配り申し上げたのは申し上げるまでもありますまい。
表の歴史では、玄宗皇帝もおもねりへつらう姿にたぶらかされて安禄山を寵愛しておられた。
楊貴妃の養子ということにした禄山に赤ん坊の格好をさせて、その肥満した赤ん坊を巨大な桶の中に入れて貴妃に洗わせたり・・・
禄山にテーブルの上に乗ってくるくる回る西域の踊りを踊らせて二人で見物し、肥満体の禄山が息を切らせるのを見て笑ったり・・・
といった関係であった――ことになっているのですが、実は・・・。
皇帝はこのとき、肥った安禄山に、脚の先を黄金で包んだ椅子を進めて座らせた。
この椅子の脚の先は、たいへん細くなっており、禄山の体重を支えるのは無理に見える。また、たいへんバランスが悪いらしく、禄山は前後左右に揺れながらすわっているのである。
皇帝の傍にいた皇太子(後の粛宗皇帝。数少ない反安禄山派ということになっていた)が、皇帝の耳にそっと
――陛下。禄山をご寵愛であられると思いましたのに、どういうお戯れでございますか。
とささやいた。
すると、玄宗、太子に目配せして、
此胡有奇相、吾以此厭之。
この胡、奇相あり、吾此れをを以てこれを厭う。
この異民族出身の男は、ほかの者にない面相をしておる。どうも我が王朝にとってよろしくないような気がして(失態をしでかさせ排除しようとして)いるのじゃ。
と小声で言うた。
――なんと。そういうことでございましたか。・・・しかし、それならば、
何不殺之。
何ぞこれを殺さざる。
どうして殺しておしまいにならぬ。
帝、また声を抑えて言う、
殺仮恐生真。
仮を殺せば恐るらくは真を生ぜん。
この男は「にせもの」かも知れぬ。「にせもの」を殺してしまうと、「ほんもの」の方が生まれてくるような気がしておる。
――「仮」(にせもの)は、唐朝を揺るがすような事件を起こすかも知れぬが、滅ぼすところまでは行くまい。だが、「真」(ほんもの)が生まれてしまうと王朝そのものが滅びてしまうであろう。
というのである。なんと不気味な言葉であろうか。これを聞いて、太子は言葉が無かった。
禄山は肥満しているとはいえ元々武人の出、運動神経は悪くない。結局、すわり心地の悪い椅子に座りとおして、とうとう倒れることも椅子の脚を折ってしまうこともなかった。
・・・太子は翌日、自ら禄山を招いた。
「太子さまがお招きくださるとは珍しうございますなあ」
禄山は、愛嬌のある丸い目をきょろきょろさせながら、肥満したからだを揺すって太子の宮殿にやってきた。
「いや、おまえがいつも父帝と楊貴妃さまによくお仕えしてくれるゆえ、一度慰労しておかねば・・・わしが讒言でもされては困るでのう」
太子は冗談めかして言うた。禄山の目は一瞬光を放ったが、さすがに
「あわわ、父と子の、それもかように仲むつまじきお二人の間を裂くほどの巧い口がございましたら、太子さまに今このように嫌われるはずがございませぬぞ」
ともっともなことを言うて誤魔化した。
「わはは、まったくじゃ、つい戯れたまで」
と言いながら、太子は自ら爵をとって二つの杯に酒を酌ぎ、一方を自らがとり、もう一方を禄山に進めた。
同じ爵から注がれた酒である。その一方を太子が飲む。これに毒が入っているはずはない。禄山は何の疑いも無く手中の杯にくちびるをつけようとした・・・。ああ、酒には毒は無い。蘭陵の美酒である。しかし、禄山が手にした方の杯の縁には、一滴でいかなる壮者をも瞬時に殺す「鴆」の羽を浸した毒液が塗られてあるのだ。くちびるをつけた瞬間、禄山の一命はひとたまりもないはず。
と、そのとき。
宮殿の軒をかすめてどこからともなく入ってきたツバメが、禄山の頭上から
銜泥堕杯中。
泥を銜えて杯中に堕とす。
咥えてきた泥を杯の中に落とした。
「おお。なんと・・・」
禄山は杯を卓に置きなおし、
「もったいのうござるが泥が入ってしまい申した。杯を替えてくださらんか」
と申し出た。
太子、さすがに落胆したが顔には出ださず、侍女に普通の杯を持ってこさせ、酒を注いでやった。
禄山は命拾いしたのである。燕は、胡族のトーテムであるから、異民族出身の彼の守り神ででもあったのであろう。
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宋・劉斧「唐摭遺」より。
「摭」(セキ)は「拾う」の意ですから、題名の「摭遺」の意味は「(正史などに記録されずに)遺されている事件について拾い集めた(もの)」ということですな。この書は既に佚しているが、宋の至游居士・曾端伯の編んだ「類説」に二十三話が収められているので、それに拠った。
生き残る運のひとは生き残れるのだなあ、ということがわかって、生きる力が湧いてまいりませんか。