↑温かいとうれしい。しかし今日のように暖かい日でさえ、平日のことを思うと寒気する。

 

平成21年 2月14日(土)  目次へ  昨日に戻る

今日は暖かかったですね。わしは頭痛かったけど畏友YAと写経に行ってきましたよ。帰りに週刊ベースボールの選手名鑑号買ってきた。

さて、特に中止の申し入れも無かったので、昨日の宿題で蔡沢というひとについて。

・・・蔡沢なる者は燕ひとなり。戦国の終わりごろ紀元前三世紀のひとである。

説客として身を立てようとして、あちこちの諸侯のところに遊説したが認められず、不遇であった。

――いつまでも認められないままに終わるのであろうか。

己れの才能には自信はあるが、幸運には自信が無い。

蔡沢はある日、名高い唐挙という占い師(「荀子」によれば梁(魏の国)のひとであるという)のところに赴き、人相を占ってもらった。

すると、唐挙は蔡沢をじっくりと見、次いで「ぷぷ」と笑い、曰く、

先生、曷鼻巨肩魋顔蹙齃膝攣。

先生は曷鼻にして巨肩にして魋顔にして蹙齃にして膝攣す。

「いやあ、先生は、曷鼻であり巨肩であり魋顔であり蹙齃であり膝攣ですなあ」

うひゃあ。珍しい字がたくさん使われておりますなあ。

「曷鼻」(カツビ)は、「さそりのような形の鼻」ということで、要するに鼻の先が上を向いていること。

「巨肩」(キョケン)は、単に肩が大きい、ということではなく、肩が高く聳えて「項(うなじ)より高い」ことだそうです。

「魋顔」(タイガン)の「魋」(タイ)は「爾雅」によれば小型の熊のような獣である、ということで、「クマのような顔」でも意味は通じそうですが、ここでは「魋梧」という木があって、その木のように瘤だらけだ、ということだそうです。

「蹙齃」(シュクアツ)は、鼻筋のところまで眉が寄ってきて縮こまっていること。

「膝攣」(シツレン)は、膝が彎曲して「がにまた」になっていること。

以上は唐の司馬貞の「史記索隠」の説に拠った。

これらはすべて一般には「凶相」であった。よい運勢のはずがない、ということになりそうです。唐挙は続けて言うた。

吾聞聖人不相。殆先生乎。

吾は聖人は相せず、と聞く。ほとんど先生のことならんか。

わたしは「常人でない偉大なひとは人相を見ても当らない」という言葉を聞いたことがございましてな。この言葉は、先生にほとんどあてはまりそうですな。

そして、「ぷぷ、ぶははー」と笑ったのであった。

――聖人さまの運勢は、ただの占い師にはわからない。おまえサンが孔子のような聖人ならその運勢はわからんが、おまえサンが普通のニンゲンなら、常識的に考えて(JK)将来は無いのではないかな。

とからかったのである。

これが、昨日の詩に出てきた「唐生、あえてそしる」ということです。

蔡沢はKYではなかったので、

知唐挙戯之。

唐挙のこれに戯るを知る。

唐挙が自分をからかっているのがわかった。

蔡沢、からかわれていると知って、なおにやりと笑いて、曰く、

「がはははは。いやいや、

富貴吾所自有、吾所不知者寿也。願聞之。

富貴は吾が自ら有するところ、吾が知らざるところは寿なり。願わくはこれを聞かんことを。

わしが富を蓄え身分高く昇ることは、自分で確信ができているところでござる。ただ、わしが知りたいのは、わしがいくつまで生きられるか、ということである。そちらを教えてくださればよろしい」

と。(○塾の江田島塾長みたいでかっこいい。と思いませんか。)

唐挙もまた、これを聞いて、

「ひいっひっひっひっひ・・・」

とさらに大笑いした。

「これはこれは・・・。よろしい。お答えしましょうぞ。

先生之寿、従今以往者四十三歳。

先生の寿は、今より以往のもの四十三歳なり。

先生の寿命は、本日ただいまから向こう四十三年でござる」

と断定した。

「おお」

蔡沢、にっこりとして謝礼を置き、早々に唐のもとを辞した。

後のことであるが、七国の多くのひとの人相を見てきた高名の占師といえどもこのおかしな男がたいへん気になったと見えて、唐挙は晩年に至るまで蔡沢の噂を聞きたがったという。三千の占例を記してあったという彼の占書に、その珍しい例を記しおいたものでもあろうか。

さて、唐挙のもとを辞した蔡沢は、待たせてあった馬車に乗り、雇いの御者に向かって言うて曰く、

吾持粱刺歯肥、躍馬疾駆、懐黄金之印、結紫綬於要、揖譲人主之前、食肉富貴四十三年、足矣。

吾、粱を持し刺歯して肥え、馬を躍らせて疾駆し、黄金の印を懐にして要(腰)に紫の綬を結び、人主の前に揖譲して、食肉富貴すること四十三年、足れるかな。

わしはこれから、良質の穀物の飯をたっぷり手にして、歯や舌に刺激的な醤に漬けた肉を食らって肥え、(馬車の)馬を躍らせてあちらへこちらへと忙しく移動し、黄金の(宰相の)官印を懐にし、その地位を示す紫の飾り紐を腰から下げ、王たちの前で礼儀に則って活動するのだ。美味いメシを食い富と地位を得て四十三年暮らせれば、十分すぎるほどではないか!

「がっはっはっは・・・」

と車上で大笑いしまして去って行った。(これが昨日の詩の「蔡沢、馬を躍らせる」です)

このあと、越に行き趙に行き魏に行って、いずこにても受け入れられず、やがて秦に入ってその宰相印を得(要するに大臣に取り立てられて)戦国末の国際政治を大きく揺り動かす活躍をする・・・のは、また別のときのお話といたしましょう。

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「史記」巻七十九「蔡沢列伝」より。

 

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