最後にホンネが出ましたニャあ。
今日は休日だで、あたまも休みだ。
漢字の本なんて読めないだよ。
そこでにほんの本を読んでみた。
去(され)ば此(この)世界は、人の流され所、定めなき苦しみの海、涙の谷と号するが故に、悦びを究むればやがて悲みの来(きた)ることを免れず、・・・身の病あにまの苦しみとなる妄(みだり)なる憤り、人よりかくる殃(わざわい)も又更に量られず、・・・
さびゑんしや五に、罪人死期にいふべきは、我等罪の道につかれ、又行道もけはしき也。御主の平なる道を終(つい)に知らずと。爰(ここ)をもて見よ。善人達、現世のぱらいぞより未来のぱらいぞに移り給ふ如く、悪人は悪きこんしゑんしやを以て、現世のいんへるのより、未来のいんへるのを待(まつ)者也。
此等の災の種となる事多き者也。先(まづ)Dの御憲法の上より、悪を罰し給ふ事、来世のみに限らず、多分現在より与へ給ふ者也。
と、「ぎやどぺかどる」下、第五の二「世界の栄花に災おほしといふ事」に書いてあった。ちなみに「D」のところには、「でうす」を示すかっこいい符号文字、漢字の「村」のような形の字が入る。
「ぎやどぺかどる」はご存知のとおり、十六世紀半ば(1555、我が弘治元年という)にヒスパニアの名僧ルイス・ド・グラナダが著わした
GUIA DO PECADOR (「罪びとの導き」)
の邦訳で、上梓されたのは慶長四年(1599)の春であるという。
訳者の名は伝わらないが、この書が16世紀後半に各国語に翻訳された中で、慶長四年というのは英訳版が出た翌年に当たるということであるから、我が国びとの情報収集と輸入の能力の高いのには驚かされるところである。
そしてまたこの美しい言葉は如何か。黄色を被せたところなど、声を出して読んでみて、どうですか。
中に盛る思想信条はさておいて、この国の、われらの言葉の美しいのを、諸兄は如何に思われるか。
ちなみにここに「御憲法」という言葉がありますが、これはとりあえずわたしの知る「憲法」の語の初出である。
・・・お。こんなところに壷があったぞ。
よし、この壷の中に言いたいことを言ってみよう。
陛下の政治利用がどうこうも業腹煮えくりかえるが、それよりこんな稚拙な外交があるか。しろうと×無告のわれらでさえこの国の舵がおかしなひとたちに任されてしまったのが目に見えだしたわ。